恥をかきましょう!
恥をかくことは、ダメなことでしょうか?私達は恥をかくことを恐れています。他者評価が下がり、バカにされ、ひどいときには時には人格まで全否定される時があります。
お陰で、引っ込み思案になったり、失敗を気にして新しいことに挑戦する事を恐れたり、自分の意見、意思や感情を表現する事を抑え込む事もあります。何故、こんなに恥をかくことを恐れるのでしょうか?
やはり、生育歴の中にカラクリが隠されています。親からの「愛情という名の躾け」によると処が多いにあります。学校や外でイタズラをして怒られたら「親が、家が恥をかく」。結果、子供の心の中に「恥をかくことは悪いこと、親に怒られる、嫌われる、見捨てられる」に繋がります。
でも、恥をかくことは、そんなに悪いことでしょうか?
なんぼのもの
いったい私って「ナンボのもの」(大阪弁丸出しです!)普通でしたら、私の価値はどれ程のもの?売るとしたら売値は?と、問いかければ高値を付ければいいのですが、出来ますか?自分自身への評価です。大多数の人は他者評価による自分への評価によって値打ちを付けます。
対人関係に於いて、良い人で居たい、真面目、誠実、おおらか、優しい等、相手から好かれる人になろうとしています。「相手から見て、良い人の着ぐるみ」をかぶり、成りきって居ます。時には、「プライド」という名前に変えて。本当の自分で居れば、肩ひじ張らずに楽に生きれるのに!
10年程前の話です。女房との会話の中で、次女の話が出てきました。その頃次女にとって、中学・高校を通して一番、楽に居てれるらしいです。(中学時代に、他人関係で苦しみましたから)自分を作らなくて、良いからです。私のゲノムの影響か、人からの評価は・良い人・人の面倒をよく見てくれる・しっかりとしている・真面目・頼りになる・約束は守る・嘘をつかない・頼めば嫌とは言わない・・・・等など。いわゆる、「良い人の典型版」です。言いかえれば「アホ」(これも大阪弁です)です。
処がある日、ラジオ体操を間違ったのか、覚えていなかったのかは分かりませんが、とんちんかんなラジオ体操をしたそうです。これにより、友達たちの評価一変しました。「普通の子」になり、友達からは助けて貰える存在になりました。今まで、当たり前の如く頼まれていた事が、「○○さんはいいわよ。私がするから」重い物を持ったら「○○さんは持たなくて良いよ。私が持つから」等、変わってきたそうです。しっかりしていない・構われる存在・私達と一緒・・・等と変わりました。おかげ、もう作る必要が無くなりました。ラジオ体操で、ドジって恥をかいたからです。「素のままの私」で居てもよい事になったのです。作らなくて、演じなくてよくなりました。
恥をかいた私
私も経験が有ります。「ええかっこ(大阪弁)」ばかりしていました。相手から良い人に思われる為に!横井の家のアホなプライドです(ほんとアホです)
ある時、女房の前で大泣きをしました。総てのものをかなぐり捨てて!もう、一杯いっぱいだったのです。横井の家のしがらみで!一番、女房には弱みを見せたくないとの思いが有りましたが、限界を超えてしまったのです。洗いざらい、弱みをさらけ出しました。その時、女房はただじっと聴いてくれました。(本当の受容と共感ですね)出し切った後は、まるで憑きものが落ちたの如く、スッキリとしていました。
この体感が有るからこそ、今は生徒さんたちの前でも弱みをさらけ出せます。泣きもできます。恥ずかしくありません。「I'm not OK」の部分を吐き出す事が出来たお陰で、「恥」でなくなりました。勝手に他者評価で嘘をついていた「着ぐるみ」を脱ぐ事が出来ました。自分自身を「肯定もせず否定もしない」「ありのままの私で居る」皆さんも「恥」をかきませんか?楽ですよ!
「いったい、おまえはナンボのもんじゃい!ええかっこすな!」
素敵な、大阪弁です。