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為替を読み切るのじゃ金利差だけではないのIMF中華見通しバタ屋 神道吉備東内 古代の馬韓も最後に少し

2014-01-22 04:08:37 | Weblog
IMFが2014年の成長見通しを示した 中国は7.7%昨年では成長していたのですが、2014年は7.5%成長となるとIMFは予測した 2013年10月の予測とは0.2%上に見ている 
 
(銅相場は22日81.3万円)
 
投資を昨年後半に加速させ昨年後半には 強い成長の回復が見られた とした
その割には 上海総合指数は年後半 上がっていないのですがね まあ とても気になる 中華の景気です 特に不動産価格の動向には 中国向け輸出を わたくしはやっている関係で そのようなニュースには 注目していたいと思います
また ブラジルの成長率も下方修正された ブラジルの主要な貿易先国の 中華の景気次第で この国の景気も左右されます 鉄鉱石や農産品がブラジル→中国に向う 中華の成長率の影響が大きい
私 この国の指標はかなり 見つめています
専門職の方からも 情報を戴いていますが 私の調べるものと一致 なので 今 ポートフォリオを調整期間中 今夜の終値でも 一部を売って その他通貨を買い直す
とにかく 新興国に成長の陰りがでているのは 間違いないと思います
ブラジルは成長すると見ていたが デモやらを起こす国の通貨は 信頼されない それは 最近のトルコの通貨にも それが言える 五輪誘致に反対するデモが 東京との五輪誘致合戦の時にも みられたことからも 国家が安定していない事を 自らが示しているようなものですから そうなる
財政が健全であるか 貿易の収支が どうであるか なども 金利差以外のものも それぞれの
通貨の価値観を変えますことが 解かる
また 貿易依存度が高いか低いかも 安定度という面でも違ってくると思う
日本が円安方向なのは 貿易赤字の連続 中央銀行の超緩和 米国との金利差の この先、広がりの程度 円安方向はかなりの確率で高いと思える
豪州$も $に対して 弱い方向で 
しかし 円とはどうなるかと 言えば 
どちらも ドルにはその通貨共に 安い方向なので
なんとも 言えない
日本人は 円の上に乗った立場からなので そうなるの
資産のポートフォリオを組む上では 主要通貨にバランスするのが 良いに決まっていますが なかなか それには勇気と決断が必要なのです
ちなみに 私たち 屑商が持つ 資源屑在庫は
どうでしょうね$に バランスしている とも言えますでしょうか
ブラジルや豪州 南アフリカの通貨などを持っていると 資源国通貨にバランスしている と 言えます
 
このIMFの発表を見ても ブラジルの成長予測は
わずかに2.5%しかないので これが5%の成長が見込まれるようでしたら レアルを買う時期でしょうかね 
とにかく 人々が踊り狂ったような国は まあ 算数が出切るレベルとは言えないかも 知れない
されど ブラジルは 古くから 日本からの移民を多く受け入れてくれた友好国ではあります
明治の時代に 人口が激増したのでしょうね日本
4人や6人も 子供を作ったのですね
田んぼは 長男が 守りますでしょ 100ある田畑を
次男 3男 4男に 平等に分け与えてしまうと 本家の勢力は衰えていきまして 家の維持が困難になるので 次男以下は 外に 出て行く場合も多かったわけです 家の維持には それは必要な事ですから
今は 子供がたくさんいれば それを株式会社という形態で 伸ばしていけば 財産を分散させなくても 良い手法がありますが 
昔の農家は あるパイを分け合いすると 共倒れになった 
なので 次男以下は 例えば ブラジルなどに 
勝負の旅にでたのでしょう
 
都市部に 集団就職にも 向っていった時期もあったと思います
今時は 田舎の長男までもが 都会に出るので 家が廃れる方向にある
 
また 優秀な田舎の女性も 高いレベルの大学を出れば
出るほどに まず 田舎には 帰らないと思う
 
先日 TVで見たのですが 菅官房長官も 集団就職で街に出たと聞きました 集団就職でということは お家は 貧しかったのでしょう 
 
下々をよく知っておられると思いますので 良いリーダーである
高きところに登られても 頭が低い 
良い印象の方ですね 
背広などにも 無頓着な感じですね 質素そうです 受け答えに 全く隙がないし かなりのレベルだと思います 
しかし事務員さんのようなムードも感じる
 
阿倍総理は よき部下を揃えておられる 感じじゃ
 
部下といっても 長の 足を引っ張るような部下もいる
 忠誠心高い部下が多ければ そのチームは伸びる 可能性が高いと思う
日本人は いにしえから 忠義を重んじる
赤穂浪士も しかり也
 
美作の国 楢はら 神宿 平福 から東へ4里ほど そこは播磨の国
佐用郡 そこに平福という村がある
平福の前の川を 舟で下っていけば 赤穂の城にも近いのです
その水の源流は 宮本武蔵の村の山からも 流れを開始している
すみません いきなり 宮本武蔵なんて 出てきて
脳みそが 勝手にそう書け と 言ってるのんじゃ
 
その昔の 美作国になる前は 吉備国といって
巨大な 国でしたの
東広島付近から 高松もそうだったと思う西は加古川までを 吉備国といった大きな勢力が(国家)があったと思うので その地区には 愛国心が強い傾向の バタ屋トーナイ 東内なのです
なので 姫路も 元々は 吉備国なのですね
 
赤穂岬にたって 見てください
2000年ほども 前に 渡来人がやってきたら
是非 此処に住みつきたい と 考える場所であると ワシは感じます
直ぐ横が 岡山の 牛窓 という港で この奥の山間に 踏み入れば 山超えて その山中にも 実に神秘的な場所も多いのです
ここは 多分 京都や楢(間違い・・・奈良)よりも 先に
渡来人は この付近に来たのでは ないかな と思える場所もあるのですね バタ屋トーナイの 勘に よれば
そうなの ワシは山を 各地 徘徊するので 場所場所で 何か 変な感じを受感するのよね
 
三輪神社の歴史も超古くからですが 吉備の周辺も かなりの年輪を感じます
 
相場の話題から また 吉備 美作 楢原 など古代に持っていったか バタ屋トーナイの 脳みその中の 昔昔のお話し
 
①『三国志魏書』馬韓(ばかん)伝
一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓
辰韓は昔の辰国なり
馬韓は西に在る              
その民は土着し、
種を植え、養蚕を知っており、綿布を作る。
落には長帥(邑落の長)がおり、大長帥は臣智と自称、その次が邑借で、山海の間に散在しており城郭はない
 
②『後漢書より』 馬韓に関して・・・
馬韓は西に在り、五十四国。
その北に楽浪郡、南に倭と接している。
辰韓は東に在り、十二国、その北に濊貊と接している。弁辰は辰韓の南に在り、また十二国、その南に倭と接している。
 
 
???東内誠 バタ屋トーナイ 東内です
 
上記は おそらく 西暦245年です
中国の史書からの もので 初めて 韓半島が出てきます
半島に関連の御方には ご気分が 韓半島と書くだけでも 怒られる かも しれないですが
日本人の立場で書きますので 2014年現在の日本と国交のあるのが 韓国であり 韓半島と表記させて下さい 
③『晋書』辰韓伝
 辰韓在馬韓之東、自言秦之亡人避役入韓、韓割東界以居之、立城柵、言語有類秦人、由是或謂之為秦韓。初有六國、後稍分為十二、又有弁辰、亦十二國、合四五萬戸、各有渠帥、皆屬於辰韓。辰韓常用馬韓人作主、雖世世相承、而不得自立、明其流移之人、故為馬韓所制也。地宜五穀、俗饒蠶桑、善作縑布、服牛乘馬。其風俗可類馬韓、兵器亦與之同。
 
僕は読めないが ワシの周りには優秀な方々が多数なので 翻訳してもらうが 漢字なので 大方の想像はつきますバタ屋 東内誠
 
④『三国志魏書』辰韓伝
 辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。有城柵。其言語不與馬韓同、名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。相呼皆為徒、有似秦人、非但燕、齊之名物也。名樂浪人為阿殘;東方人名我為阿、謂樂浪人本其殘餘人。今有名之為秦韓者。始有六國、稍分為十二國。
 辰韓は馬韓の東に在り、そこの古老が代々の伝承では、秦の使役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、馬韓は彼らに東界の地を分け与えたのだと言う。城柵あり、言語は馬韓と同じではない。
。。。。。
 
これは秦人に似ており、燕や斉の名称ではない。
楽浪人を阿残と言う。東方の人は自分を阿と言い、楽浪人は本来その残存種族だという。今は名があり、これを秦韓とする。
初めに六国があり、十二国に細分した。
 
『後漢書』馬韓伝
 馬韓最大、共立其種為辰王、都目支國、盡王三韓之地。其諸國王先皆是馬韓種人焉。
 馬韓人知田蠶、作綿布。出大栗如梨。有長尾雞、尾長五尺。邑落雜居、亦無城郭。作土室、形如家、開戸在上。不知跪拜。無長幼男女之別。不貴金寶錦罽、不知騎乘牛馬、唯重瓔珠、以綴衣為飾、及縣頸垂耳。
 
バタ屋東内 ・・・そうか 馬に乗ることを知らないか
 
 
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中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
触媒的役割りを 果たしたのが
「とうない東内/藤内」氏であった。
藤内氏は菰を刈って
チマキを作り神を饗応したといい,
その功から以後 
明治初年まで美作東半国の
初穂料を徴収し,
中山神社に納める 職能を担うこととなる。
 
中山神の古代金属生産とのつながりや,楢原地域の産銅・産鉄の可能性の高いことを指摘したところでもある。
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。

出雲のとうない(藤内)

柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
藤内某というものがあった。
能義郡布部というところに至り, 宿泊した長者の家で近辺(比田)に巣くう魔物の話耳にし, 大納言の命により 藤内が退治することになる。 山王権現の使いである猿の案内でめでたく化物を打ち取るが, 頭は人のようで 白髪三尺あまり, 四足は狼・尾は牛に似て,前身黄色の毛に覆われていたという。
 藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。  
(原話:田辺善明/再話:小汀松之進)

能義郡は近代までたたら-砂鉄による産鉄地帯で,
播磨国宍粟郡岩鍋に示現した金屋子神が,
白鷺に乗って 西比田の黒田に飛来し,
たたらの技を伝えたとする伝承を述べた。
 
この神はこの地に鎮まり「金屋子神社」となっている。』

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