旧正月入りした中国の 先日1/30の株は 多少下げた
今年1月30日償還のモノを販売して 一定の責任を最近では 示していた中国工商銀行の株価の下げが たいした事が なかったことは 良かったのではないでしょうか
香港市場も 昨日は 午前の半日で取引を終えたみたいです 中華圏にとっては 本日1/31は新年となる
日本もこれまで 中国の影響を2200年も受けきている立場なので 中華圏と言えばそう言えなくもないと私は思います
皆さんは 知らない人が多いのですけれども
日本人の血の中に 大陸の血がなかりの%混ざっていると言っても過言ではないと思っております
これは おそらく2000数百年の歴史の中で
そのような渡来人が何度も ニッポンに 気化(侵略?)してきたことは ほぼ間違いのない事なのではないかと考え始めています 最近のとうない 藤内 唐ない? 唐である?唐でない? 東内
1000年弱ほど前~明治迄の時代では 藤内の名前は
差別も受けた側の立場でもあるようです
国に(日本の一部地方では)よっては そのようです
東の内の とうない では そのようなことは 出てこなくて
藤内であるなら 差別を受けた身分の時代もあったようで すので 難しい
ただ 多分 ワシの美作の国 楢原の先祖 この近年まで1300年間は 差別を受けた立場ではないようで
---これも 難解です
また なんで 百姓の家の とうない に 五鉾立て神技の鉾と鉾立て石があるのか また保管の祠も現在でも あるのか 不思議です
それも 藤原系の偉い方の ご指示を1300年前に 受けて それを いまだに 引き継ぐという立場から したら 読めないのは辛い
そして 調べたら出てきたのが 諏訪湖周辺の
藤内遺跡が 土器を多く出している
古代日本の 中華が到来した時代よりも 2600年も前の 時代の土器と集落の跡の藤内とうない遺跡なので
かなり 冷静にならないと 自分の家の歴史さえも 読みこなせない
日本の古代などを 最近 勉強してみようとしているバタ屋
トーナイ とうない誠ですが 調べていくうちに
何か気分が
悪くなるような 史実なのか そんなモノに 何か得体の知れないものに遭遇する場面も何度もあって
シンドクも なる事も多い
例えば 桃太郎伝説も その一つで 鬼とは 正義とされる側に敵対した 敗れた側の立場のモノ(物?者)を
勝った側が 極悪に表現しているようでも ある
桃太郎は 鬼が島に 鬼を退治に行くのですが
犬猿雉のお供を連れて戦いまして そして鬼を退治し
その鬼の財宝を持ち帰っていく 風景が思い起こされるんですが
皆さんも そのイメージですよね
しかし その鬼 どんな悪さをして 退治されることになったのかの 理由が お伽話では 出ていない
鬼を 一家一族もろとも 全員 殺したのでしょうか
生きて残った鬼は 居なかったのでしょうか
生き残った鬼の子供は どないしたんじゃ?
また 勝ったからといって
鬼が貯めていた財宝を全て持ち帰ったのでしょうか?
桃太郎は 裁判長か その当時の総理大臣のような 権力者から その征伐の権限を委譲されていたのでしょうかね
過剰に桃太郎を英雄として持ち上げ過ぎと 言えると
素朴に この歳になって 多少は人の痛みも
解かる年恰好になって そのようにも思うわけです
勝者の論理で 桃太郎伝説は描かれています と思います
岡山県 美作の 出自で こんな事を考える大馬鹿者は 少ないかも 知れないですが
ワシはそのような方向でも歴史や 人が書いたモノを 見つめてみたい
と 考えています
鬼の一家を 皆殺しにせずに その子供は捉えて 奴隷にしたかも 知れないし 女の鬼は なんと言うか 女の奴隷だよね 勝者 主人の 私物になるし 売買の対象にもなる商品とも なる訳ですか?
魏志倭人伝によれば 卑弥呼は 貢物の中に 奴隷も献上したような事が明らかに中国の歴史書にも書かれています
グロを書いて喜んでいるのでは ないのですね
強者と 敗者の論理の史実を申しているのです 東内誠
あまりにも 美しい歴史ばかりを 教科書には載せてあるのですが 見せがたい 歴史のほうが 多いと思ってきている
昨今です トーナイ
現在も ケガレル と されている職業に まい進しています
屑商ですからね 現在のワシの仕事も雑役とも言えます
ワシ自身は 雑役であるとは 考えていませんし
循環型社会に貢献する 大切な仕事をまかなっていると思ってはいますが
実は 人間の深層心理では そうは思わないのですから
他人から見れば 雑役と 見えますし
卑しい職にも見える
ワシらの仕事は 手を汚しますしね
貴族からしてみれば 血やケガレは、あれば、 それは卑しい、武士も 卑しいとも 考えられた、
血を流しますからね、
もののけ、 とも 言うから もののけ を 追求しましたら また 苦しみますので あまり追求しないほうが 幸せです
いくら 理想郷を唱えても 現実の社会は 食うか食われるかのジャングルのルールなので 綺麗ごとばかりでは 通らないのですな
とにかく
大半の日本人のご先祖は 苦しみ 餓えたり 泣いたり 叫んだり 痛い目にあったり そんな 中で どうでしょう
1万年前には この土地に 人が住んでいたのか どうかは 知りませんが
たいへんなご苦労を重ねて 今の日本人というのんがあると思うの
なので ご先祖の墓は 大事にしたほうが良いし
感謝もして手を合せてみましょう
お陰様で 生かして 戴いています
これは何より 先祖のご苦労の上に なりたっている事は間違いない
ワシ自身は ほんらい 無宗教に近いと考えていますが
先祖が 頑張って 耐え忍んでくれたので 今 生きている
なので 過去を遡って 調べていくと 楽しくもあり グロも出てきて 苦しくもある
ワシが13歳の頃に 真面目な方向に向っていって
例えば 公務員にでも なっていたら 多分 このような事までも 考えずに 過ごして 無事安泰な生涯を終えていただろうと思うし
公務員に就職していたら 株や 相場なども やっていなかったと 思うんのや
まして 外国人と 交渉して 商売したりも できへんし
大博打も うつこともなかったと思う
まあ この激しい性格では 公務員に仮にもなれていたとしても 問題児なので すぐに 懲戒解雇かも 知れないし
また そうではなく 出世して いたかも 知れない
まあ そういう想定は ナンセンスやな はははっは
まあ ワシは勉強が中2の時に嫌になったので 公務員に入れてもらっても ゴミのトラックに乗って ゴミ集めか
バギュームカーの 糞の収集くらいしか できんか
そやそや そうやった
まあ ワシのレベルならな 霞ヶ関の役人には 99%なれない それは 生まれおちての知能の差が有り
彼ら 頭は 22.23歳頃比較 では よい
(57歳比較 では わしも簡単には 決して負けない)
なんで 武家の家と 農家の出では 能力が違うか と言えば 武家の出は この800年も家の代が続けば 学問や武芸を先祖から やってきているじゃない
農家で 何代も代を無学を重ねているのんと 比較したら 知能に差が出て当たり前じゃから
馬でも そうでしょ 血筋がよければ早く走る可能性が高い
差別 区別はあって 当たり前なのが 人の世じゃ
だからさ 明治維新でも 武家が 公務員に変身したじゃない そのチャンスに恵まれなかった武士も居て その不満が 充満し 西郷さんが その なんと言うか その不満を引き受けて 散った
西郷さんは ワシの家の家紋と 同じ 鷹の羽ちがい だったので 悪くは ワシは言わない主義なの
ご出世はなされたが 元は下級武士の出自ではなかったかな と思うの
戦う系統なので もののふ の出かも 知れませんね
九州は 昔から 国防の要所だったと思うので
日本の各地から1400年間ほどかな?いや1800年にもなるか?
戦う者が 集められてきた歴史があると思ってる
そこに土着したかも 知れないでしょ
九州は 過去の時代 炭鉱も あって 奄美の先祖も 九州に渡って頑張った 炭鉱労働者もたくさん おられたと聞きます
炭鉱を経営した人には 貴族からも資金が出たかもしれないですよね
成人して以降 ずっと 炭鉱の中で 危ない環境の中で 仕事をしてきた人々は 多分 生涯 そればっかり やって 飯にありついていたと予測します
もくもくと 穴の中で岩の石を たたき それを 真っ黒になって 運び出し 資源エネルギーを産出したんじゃな
どのような職の ご先祖にも 感謝せなば ならない
よくぞ 生き抜いてくれたものです 下々もね そうでしょ
そんな虫けらみたいな とは 考えてはいけない
東大寺の建設にも 多くの 奴隷も使われたのかも 知れないと考えてみてるの わし
たしか 西暦700年代でしょ
その頃から 税務が始まったと思うの
大きな豪族たちの古墳が各地にありますでしょ
あの労務も 多分 末端の 下々のモノが 労役を課せられたと 考えます ユンボや重機 トラックのない時代に
相当な 税金 というか たくさんの人が
奴隷身分だったのだろうと思うの
とうない 貴様 藤原に仕えたという割りに えらいことを空想してくれる と お叱りを受けるかも 知れないが 冷静にみて 歴史を 考えたらば そう思えるのよね
ワシの場合は 常に下の方向から ものごとを見る癖という
か 本能 習性がある
まあ 職業差別や身分差別は なかなか 深層心理の問題なので 世の中から なくならない
お上は 上で 上位に永久に
居ていらっしゃって下されば 良いのですが
下々たちの 中の 上下関係による 偏見からのモノは 徐々に なくしていかねばならない
ワシは差別反対運動の団体とは ワシは関係ない
かなり 思想には差が大きい
但し 知らない土地に流れ着いて よくして戴いたのは
それらの地区出身の議員の先生方
彼らには こちらから 若い時に近づいていった経緯はある
今では それらの先生方も ご隠居なされた
旧社会党と 自民党を どちらも こなす先生方でした
民主党もこなされる
ワシも主義があるので 旧社会党系の先生の お手伝いをしたからと 言って 社会党の思想に取り込まれるものではない
商人なので 何処の政党でも行きますのでな
ただ 共産党には 行かない
そんな事を考えて瞑想して 過ごしていますバタ屋トーナイ
昨日は このブログを 長年 お読みくださっている 中古機械のプロの御方に とっても よい ギロチンカッターを仲介して戴いて ここでも御礼を 書いておこうと思います
新品で買えば 570万円はする ものを とっても 程度の良いものを お売り戴いて ありがとうございました
もう 昨日 装着して 大阪市此花区梅町2(USJ前すぐ)のトーナイ此花営業所で 稼動テストして ◎◎◎でした
昨日も 5トンほど 分厚い鉄屑を切ってみました
厚み10mmでも ブチ切れます 良かった
このブログを 7年間 日々書き続ける事で 私を大変 信頼して下さり そして お助け 戴いた とても ご縁を 嬉しく ありがたく思います
1/31 今日で この月も終わりか 苦しい月でしたね
三島鴨神社で 札が 末吉でしたので 十分に 自らを戒めて リスクもなるべく 少なく過ごせたことには 神に感謝します 経営者には 大吉より 末吉が良い 注意をするので
ワシの場合は 全て 良いほうに
良いほうに解釈します
昨日は 12月末の 税理士の損益計算書も出て 8ヶ月の年度の途中が示されて 少し ほっとしています
しかし1月単月では 経費は変わらず粗利は減りましたな 厳しい月でした
1/31の 銅相場は 7100か 為替はやや円安い方向かな
780円周辺ですね
バタ屋 東内誠(藤内 とうない)の会社のホームページは↓
屑関連の仕事がありましたらば
お気軽にお申し付けください
関西一円 量があれば お伺いします
工場の解体 重量物の運搬 搬出作業
銅の高価買取り
プラスチックの再生
くず鉄問屋 非鉄問屋 産廃処理も2工場が許可
小型家電リサイクル認可工場並みの
レベルは有しておりますが
申請は検討中です トーナイの東内誠
電話は072-678-1112 (代表)
【諏訪大社 藤内 とうない遺跡で検索したら】
【他人様の物を 少し コピー『』↓】
藤は産鉄のキーワードか
『中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
『中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
触媒的役割りを 果たしたのが
「とうない東内/藤内」氏であった。
藤内氏は菰を刈って
チマキを作り神を饗応したといい,
その功から以後
明治初年まで美作東半国の
初穂料を徴収し,
中山神社に納める 職能を担うこととなる。
中山神の古代金属生産とのつながりや,楢原地域の産銅・産鉄の可能性の高いことを指摘したところでもある。
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。
出雲のとうない(藤内)
柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。
出雲のとうない(藤内)
柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
藤内某というものがあった。
能義郡布部というところに至り, 宿泊した長者の家で近辺(比田)に巣くう魔物の話耳にし, 大納言の命により 藤内が退治することになる。 山王権現の使いである猿の案内でめでたく化物を打ち取るが, 頭は人のようで 白髪三尺あまり, 四足は狼・尾は牛に似て,前身黄色の毛に覆われていたという。
藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。
藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。
(原話:田辺善明/再話:小汀松之進)
以上 他人様原稿からの一部コピー
以下は 私の文書です
ウィ鬼ペテァからの
藤内(何時の時代からか東内)は
藤原氏の 私的 家来というか 雑役係りで
警護 ご主人様の旅の先までも警備 あらゆる
雑役などの業務
行けと 言われれば 皆殺し にも行く お役目 である
藤内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤内(とうない、ふじうち)
日本の姓のひとつ。
日本の古代から近世までの貴族である藤原氏 に
任ぜられた内舎人 を藤内と呼称した。
血や 汚れ仕事も 命じられれば 行くのんじゃ
なんか ワシの体内に 多分に その血は
感じる所が あります
時代によっては 穢れから 差別を受けた時代もあったかも 知れません
しかし そんな事には 東内は 感知しない
藤原王の 言われる事には 忠実に番犬の如く
働いたのですから 戦士/雑役の血筋には誇を持ちたい
王が その地に留まり 番をせい と おうせつかれば
1300年間でも 従順に 従う者なり 藤内 東内
千数百年も過去から 武器を持って警護させて戴いた
藤原系の おえらい方が このつたない文章を
ご覧下されば
トーナイを覚えて おいてくださいまして
今 ワシ グローバルなゴミの循環型を進めたいのです
何か お役に立ちます仕事をしたい
0120 535319が連絡先でございます