7200$まで下げました 海外の銅相場
為替が急激に円高に振れていますので
日本での銅相場 780円と急落の週末
株も暴落するし 週明けの株式も
多分 400円落ちからのスタート
大波乱です
年末から警戒していたものが
年明けに 来なくて このまま もしかして
安定して過ごせるのか と 考え始めていた矢先でしたが ついに 大きく投資家の不安心理が出てしまって
VIX恐怖指数も 昨夜 急騰した
少しだけ 救われるのは 昨日14時に
24日のNY市場の終値で $を数千万分は
買った事 102.2円の タイミング
この先 まだ円が買われるのならば
実に損な タイミングとなる
買った$でアメリカの
安定的な債権への投資に切り替えた
ポートフォリオの修理を 最近 2ヶ月やっていましてね
また
日経平均も 大きく下げたタイミングでレバレッジの掛かったものを 買ってしまったので
かなり月曜日に 評価を下げちゃうことになる
売りから 入るべきだった 結果となった・・
一日なのか 5日なのか 早過ぎた・・・・
博打や相場は 大きく負けることは よくある
来週のFOMCの前後 大きく相場が振れると思います
しかし 新興国の通貨が 一気に売られているので ポートフォリオの修理については 間違った判断ではないと自分を慰める
バタ屋トーナイ 東内誠 グローバルな屑商
しかし ワシでさえも $の安定的なものに乗っておこうと考えるのですから
専門的な投資家の資金が 米国の債権に流れるのは 当たり前の流れで
それで株が下がるのですから
余計に 債権が買われています
米国の10年債が 買われれば 日本のものとの差が縮小しますから 円高になる・・ か
円高は 新興国通貨が 今 恐いからもある
しかし 来週一杯 相場が下がり続けると予測をするのなら 月曜に 日経平均を 売りから 入れますか と 言うと なかなか それは 売りからは 入れないしさ
日米とEUは 景気も悪くない上げ潮なのですし しかし アルゼンチンがヤバイのですか
それは 何時かは落ち着くのではないでしょうか 南米一帯に 悪影響になるのは恐いですね これは週明けに調べてみましょう
以下は 吉備の国の追っかけ調査↓
ウィ鬼ペディアから(岡山ではキ・木を鬼と書く)
応神天皇(母は神功皇后この次が仁徳)
【吉備臣の祖として御友別(みともわけ)の名が、『古事記』には、近江の安(やす)国造の祖先として意富多牟和気(おほたむわけ)の名が見えるが、これらの豪族の名の構成は「ホムダワケ」と全く同じである。これらのことから、「ワケ」(別・和気・和希などと表記)の称を有する名は4世紀から5世紀にかけて皇族・地方豪族の区別なく存在し、ごく普遍的に用いられた名であることが分かる。事実、景行・履中・反正の各天皇の名にも「ワケ」が含まれており、実名を基にした和風諡号である可能性が高い。以上の点から、応神天皇の「ホムダワケ」と言う名も実名だった】
初代の頃の天皇の中で 多分 吉備国のお方が 数代は日本国王だったと 単なる私の第6勘で
東内は空想しています 4世紀頃なのでしょうか
一時期は 東内 ふじうち 藤内とも呼ばれた
昭和の時代 53年ごろより21歳で 美作の里を捨てて 摂津に住み着いた 小さな商人 トーナイです
35年前に 旅に出たのですが
やはり出身の里が気に係り
40歳を過ぎた頃より
美作史 吉備国史を
少しずつ調べています者です
1500年前頃の吉備国 は
大国であったと思っています
美作市 うちらの先祖の住んだ場所から 川を下れば 吉井川で
吉井川を 海へ下れば 和気町ワケで
その川を もっと下れば 西大寺
そこで 海に出る
安養寺の裸 奉り祭りの元祖が 美作の 安養寺で その川の海への出口が 西大寺なのじゃ
地図をみたらば すぐに 解かります
和気の山や 備前の山に 入れば 勘の強い人には そこには 日本の始まりを感じます
ワケのなんとかとかさ 朝廷の方に つけられた名前の一部の ワケは 和気町に 何か 関係すると思います
その辺の山々には 何か 神秘的なムードがあります
バタ屋 東内誠(藤内 とうない)の会社のホームページは↓
屑関連の仕事がありましたらば
お気軽にお申し付けください
関西一円 量があれば お伺いします
工場の解体 重量物の運搬 搬出作業
銅の高価買取り
プラスチックの再生
くず鉄問屋 非鉄問屋 産廃処理も2工場が許可
小型家電リサイクル認可工場並みの
レベルは有しておりますが
申請は検討中です トーナイの東内誠
電話は072-678-1112 (代表)
【諏訪大社 藤内 とうない遺跡で検索したら】
【他人様の物を 少し コピー『』↓】
藤は産鉄のキーワードか
『中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
『中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
触媒的役割りを 果たしたのが
「とうない東内/藤内」氏であった。
藤内氏は菰を刈って
チマキを作り神を饗応したといい,
その功から以後
明治初年まで美作東半国の
初穂料を徴収し,
中山神社に納める 職能を担うこととなる。
中山神の古代金属生産とのつながりや,楢原地域の産銅・産鉄の可能性の高いことを指摘したところでもある。
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。
出雲のとうない(藤内)
柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。
出雲のとうない(藤内)
柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
藤内某というものがあった。
能義郡布部というところに至り, 宿泊した長者の家で近辺(比田)に巣くう魔物の話耳にし, 大納言の命により 藤内が退治することになる。 山王権現の使いである猿の案内でめでたく化物を打ち取るが, 頭は人のようで 白髪三尺あまり, 四足は狼・尾は牛に似て,前身黄色の毛に覆われていたという。
藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。
藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。
(原話:田辺善明/再話:小汀松之進)
能義郡は近代までたたら-砂鉄による産鉄地帯で,
能義郡は近代までたたら-砂鉄による産鉄地帯で,
播磨国宍粟郡岩鍋に示現した金屋子神が,
白鷺に乗って 西比田の黒田に飛来し,
たたらの技を伝えたとする伝承を述べた。
この神はこの地に鎮まり「金屋子神社」となっている。』