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経済・相場を読み切る為に絶対に必要な物は歴史かな~と空想トーナイ藤内 藤は鉄銅に関連

2014-01-23 05:49:10 | Weblog

ロンドンでは 銅が昨夜はやや下落 といっても ここ最近の範囲内で 大きな動きはないようです 投資家の警戒感は 米国の金融政策決定会合にあることと 中国の春節によるところの 中国の銅消費の季節的な減少 しかしLMEの指定倉庫の在庫は減少の一途ですので 

どうなのでしょうね 銅相場 810円2時 1/23
 
日本では 空調機器の配管に消費する銅管が フル生産でも 注文に間に合わないという消費の状況を業界誌は書いていた 空調機器も そろそろ春からの需要を見越して生産増強するはずですし 4月からの 消費税増税で15万円の機器は4500円税込価格で高くなりますので 駆け込み需要が期待されます
また 中国では 空気清浄機付きの 日本製の例えば ダイキンさんの空調も 私が想像しますには 売れまくる のでは ないかと思う
ダイキンは大阪に本拠を置かれます
世界シュア第一位の空調機器メーカーです
私も この会社の株は 長期保有していますが たいへん この株は 優秀です
勿論 パナソニックや東芝 シャープの空気清浄機も 世界一安心できる品質です
対日批判が強くても 信頼される商品は 
中国人の消費者は 購入すると思います 古い型式の空調機器を使うと 電気代も損失なので 購入する能力のあるお家では 買い替えをしたほうが経済的です
お金が無い人も 60回払いで 支払えば 金利を考えても 空調機器は買い替えがお得です
経済産業省の考え方も そのように思われていると思います
そうなの 古いクーラーはスクラップして 再商品化し
熱効率の高い物に 造り返る それが循環型社会であり
それをグルグル循環させることを 資源の循環というのですね
その流れを 再生物流とも言いますし クズ屋~お払いとも言います 日本はいにしえから 資源循環 環境の循環を やって 自然と共生してきた 国柄です
そうなの 日本は山を常に大事にしてきているの
水は高いところから 低いところを目指して流れますので
そう 川上の水を汚してはならないの
山を荒らせば 必ず 神々が怒り出します
洪水が起こる場合もあるの
なのでな 山にゴミを埋めたり 谷に投棄したり しないで下さい 日本の山は その昔から 日本人が大事に守ってきましたから 荒神さま などは 台所の火の用心の神でもあるが 山の神のような気も します
日本中で 荒神様(こうじんさま)が 一番多い 県は 
どこでしょう?
----答えは 多分 岡山県だと 思います
古都京都にも 荒神通り って のが あるのかな
 
京都で 言えば 山の方向 例えば 亀岡に登る道などに 多分 そのような神がおられる?と思うョ
 
火災で 村を失う事を 昔の人は恐れたのだとも思う
なので 集落の単位で 荒神様を 祀って 祈ったし
それぞれ 火災に警戒して 火の用心なども やったと思う
そうなの 火を常に警戒してるんじゃ
 
ワシの父親も 50歳代は 郡の消防署の長も させて戴いていた記憶じゃ(田舎の役所は 何でも やらされる)
そんな 役人の長男が2012年3.12の夜間に 失火で
工場を燃やして 新幹線も少し 止まってしまって
今でも 深い反省をしてるの東内のトーナイ
 
ワシの幼い時に 母が何度か 炊事場で 火で失敗して
布団を水に濡らして 火を止めたことを ワシ覚えているのんじゃ ワシの生まれた家は 貧しくて 藁の屋根の家でさ 火を出せば 天井に すぐに燃え移ってしまうので 母がたいへん慌てて 消したことを 何度か見たの
上の段は 蚕を飼う場所なので 天井は高いのだが
やばかったんだよね 
築250年の家なのかな ワシが十年ほども前に 100万円以上も掛けて解体したんや
天井の竹の 部分は ススで 真っ黒くて それが とても懐かしいの 家の古い額には 『鉄石心』 と 額みたいなものが あった 
 
その母と 8歳で死別したのんじゃ
 
ワシの母も公務員で 3歳くらいからか 母のこぐ自転車の後ろに乗って 美作町の安養寺という幼稚園に役場から派遣だったのか 勤めていたので付いていっていたんや なので 8歳までの教育は かなり ワシは田舎では 受けているほうなの
 
安養寺というのは 古来 吉備国の裸祭りの ほんとうはね 元祖なの 岡山県で有名な
 西大寺の裸祭りの元祖なの
 
その母の 父親は 田舎の歌舞伎みたいなことを 
していて 祭りの日には 凄い化粧をして舞台にあがって なんか 武者のように刀を持って
舞をしていた記憶なの 
 
鬼の面をかぶったりも していたの
 
しかし 子供の記憶というのと 脳の成長は ほぼ8歳までに形成されると医学的には そういうので 
これは 運が ワシ 良いんじゃ
その後は 辛い日が 続くことになるのですが
 
弟は5年 5歳 母と過ごした期間が長かった分は 
ワシと弟の性格の差なのだろうと思う
 
ワシの弟は 後妻との関係で 大学にも行けなかったが
かなりの上場会社で今も活躍中 で けっこうに出世した
ワシと比較して彼は優秀で 真面目な性格で組織に従順だと思う
 
まあ53年前 今の寒い季節では 母の身体にしがみついて自転車の後ろに乗って 安養寺に毎日 片道4kmほどもあるの 付いて行ってた
 
母親って ありがたいものです
その頃の 安養寺の坊さんとも 
ワシ よく喋っていた記憶やな
ただ ワシの家は安養寺の檀家ではない 
ワシの家のほうの仏教は 仁和寺系や 真言密教やで
なむだいしへんじょうこんごう です
 
その時代 その時代に 合せて 日本人の宗教も 生き残ってきてるんじゃ と結論に近づいている気配・・・
 
神仏 両方を共存 共有 させてきてるの
 
だから 仏教は宗教でも 神道は宗教ではないとも
言う人もおるわけ と 考えてよいと思います
ワシは かなり 何十年も悩んだ末のことや
 
『土佐の高知の はりまやばしで 坊さん カンザシ 買うを 見た~』
こりゃ 坊主が 色気を出しては いかんぜよ
---とうない誠 神道は優柔不断なの
しかし 出家しても 色気はなければ 男と女が交わらねば 子孫も のこせんぞ そやろ
 
だから ワシ 田原総一郎さんに書いて戴いた
『しなやかに したたかに』 って 言葉 いいな~ 
って 思うの
 
しなやかに したたかに なければ 人の世は 生き残れない されど 守るものは いにしえからのモノは継承し残さねばならない
 
また 今夜も アホみたいな ことばかり 書いてるんじゃ
バタ屋トーナイ 日記 ワシの脳みその中身
 
昨日は 早めの18時過ぎに帰宅して 暫くして 長女の鈴香が 近くの八千代ビルに住んでるのですが 自転車に8歳の セレナを自転車の後ろに乗せて
やってきて その姿をみて 母に そっくりすぎて ま 母の背中を思い出したのんじゃ
セレナは 8歳で 早40kg なので ワシも幼い頃は大きいほうだったが しかし セレナ でっかいから 鈴香も大変やな
そなんや ワシ 丁度セレナのこの歳で母が逝ったんだ
2年ほども 闘病し入退院を繰り返して
田尻病院に 週末に見舞っていた
見舞う耽美に 本を爺ちゃんに買って貰っていた
寂しいので 婆ちゃんの乳をしゃぶっていた記憶があるんじゃ
 
弟が生まれた頃は 母は 5時には 洗濯に池の尻の谷川の水場にいって 洗い物をして そして 庭に干して 掃除して 飯の仕度をして 
爺さん婆さんの昼飯を作って
そして 7時半頃に 自転車で 出勤してたんじゃ
 
無理をしたんじゃ と 思う
 
そんな忙しいのに 村の連合の子供会を作る呼びかけをしたり
村に 塾の先生を 呼んで 塾を始めることもやってた
子ども会を作って 姫路城や 赤穂岬などにも連れていったと思うの 
ワシの記憶が一番強いのが 自衛隊の駐屯地に 村の子供達 連れて 一緒に行った なんか 世話役ばっかり やって 何時も動いていた記憶なの
田舎の人も この日記読んでござるので 間違っていないと思う
 
まあ いくら 頑張っても 母を 超えるようなことは出来いない 偉大なものじゃな
 
なのでな 万が一 運よく 出世したとしても 母よりも 大きな墓を作るな
 
先祖よりも 大きな墓を作れるのは お国の為に殉職した お方のみが ワシは エエのでは ないかと思う
考え方が 間違っていると考えるならそれはそれで良い
墓石製造販売に関係の人には すまないですね
 
ワシ 相場で 大もうけして お金が出来たら
うちの 美作の墓を 墓石 数が多いので
まとめて 大きな 代々の墓にして その 後部かに 
解かる名前を いれるような モノ 造ってみたい
この代で 出来なければ その次でも その次の次でもエエか まあ しかし弟や集落の許可もいりますね
ただ 出切るとは思うの 一番 この墓地では古くて奥なのでな 
それに 40数年前までは 土葬でしたから
棺を そのまま2mほど下に埋めるのん じゃ
なので その棺が腐って 地盤が安定するまでは 墓の基礎工事は出来ないの 何年も掛かる また お金が無くても 出来ない 建てられない
 
しかし ワシ 多分 自分でも その工事程度は できると思うの 重機もたくさん持っているしさ
石の輸入も 出来なくもない
だが 目先の仕事に追われて やる暇が 今はない
 
ご先祖様 どうしても 相場で ワシに勝たせてもらわねば なりませぬ
親不孝ものではありますが 50歳も過ぎて 人の道も 少しは 見えてきて 最近は ワシのスタッフにも 人の道など語っている立場じゃから
勝つ様に 優しいお気持ちで 見守って戴きたいの・・・
 
50歳を過ぎれば 個人だけのことで 祈らずご縁のある皆さんの 安寧を祈れるようにも 変わってきていると自分では そう思っているの
 
 
バタ屋 東内誠(藤内 とうない)の会社のホームページは↓
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申請は検討中です トーナイの東内誠
電話は072-678-1112 (代表)
 
【諏訪大社 藤内 とうない遺跡で検索したら】
【他人様の物を 少し コピー『』↓】
 
藤は産鉄のキーワードか

中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
触媒的役割りを 果たしたのが
「とうない東内/藤内」氏であった。
藤内氏は菰を刈って
チマキを作り神を饗応したといい,
その功から以後 
明治初年まで美作東半国の
初穂料を徴収し,
中山神社に納める 職能を担うこととなる。
 
中山神の古代金属生産とのつながりや,楢原地域の産銅・産鉄の可能性の高いことを指摘したところでもある。
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。

出雲のとうない(藤内)

柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
藤内某というものがあった。
能義郡布部というところに至り, 宿泊した長者の家で近辺(比田)に巣くう魔物の話耳にし, 大納言の命により 藤内が退治することになる。 山王権現の使いである猿の案内でめでたく化物を打ち取るが, 頭は人のようで 白髪三尺あまり, 四足は狼・尾は牛に似て,前身黄色の毛に覆われていたという。
 藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。  
(原話:田辺善明/再話:小汀松之進)

能義郡は近代までたたら-砂鉄による産鉄地帯で,
播磨国宍粟郡岩鍋に示現した金屋子神が,
白鷺に乗って 西比田の黒田に飛来し,
たたらの技を伝えたとする伝承を述べた。
 
この神はこの地に鎮まり「金屋子神社」となっている。』

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