30日4時過ぎには 米ドル円は102円を瞬間割りました
ダウも悪いですね 日経のシカゴ先物も昨日の上げ幅を全て消しています 見てられない 円が102円として銅相場は775円やや下辺りの仮定計算銅価格です
最近、銅など資源のポジションは減らしているとは言え、堪えます。
朝9時までには 円安方向に向ってくれねば困る立場の大阪北港USJの前の グローバルな屑商 阪神高速 湾岸線の神戸方面行きからも 看板が見えます屑商トーナイ の東内誠です そうです 看板だけは でっかいのです 最近 お隣が 巨大な倉庫を建築中なので
『君 また 凄い工場を建てているのかい』
と よく言われますが
ああ ワシには 数十億の建屋を建てる力量は 今は ないです
あそこはお隣でして あの会社は 多分 尼崎で一番の長者の方で 通関免許や荷役免許もお持ちの 歴史の深い企業です ワシなど足元にも及ばない
そんな数十億の建屋の家主に なれるようなトーナイではない 歴史が天と地ほども違う訳ですから
ワシは22年前 頃は 高槻市の調整区域 80坪の雑種地で クズ屋を自分の土地を初めて持ち ヨセ屋を し始めた者なり・・36年前は 乞食同然の浮浪者の身分、也。そうは やすやすと登ってはいけない
地元 岡山県や親族の 援助 コネは一切 使わない
知らない土地で 生きていく と いう条件の中で 21歳から 暮らしてきていますのんで けっこう 大変なのよね 実は そうなの
まあ 昔 昔の 旅をかけて いた 方々も 出た船は 引き帰らない という 決意を持って 旅をかけた と思うので 同じ事だと思うの
中国から 2200年まえに 未知の国 日本を目指して
3000人の子分を連れて やって来られた 徐福の船団も そうだったと思う
ワシの ように 知らない土地ならば 何処に魔物が潜んでいるかも知れず 腰には武器を徐福の軍団も所持していたと思う
ワシの場合は スクラップの銅をすぐに 解体する目的の 鉈でしたが そうです腰の後ろに鉈を持って大阪の街を 屑を集めて廻っておったんですよ バタ屋とうない
それは 湯沸かし器が出れば ネジを2つ 鉈で瞬間に 飛ばして その中の 銅を パイプの部分を叩ききって 銅の釜を取り出すの 瞬間に バラスの
込み真鍮も バンバン って ぶったたいて 取り出す
それは 運転席の屋根に鉄製の籠をつけてたのんじゃ
そこに 放りあげて積んでおくのや
朝は 洗濯が出来た 清潔なものを着て行商にでるのじゃが
帰り道には そりゃ すごい 汚れてしまって
その頃 高槻市付近の人は ワシら 乞食親子やと
思っていたと思う それほど 汚れていました
ちょっと近寄りがたい部類の人だと思われていたと感じてたよ
その時代に いろんな年代の人達とも知り合った
もめて 知り合った人も 数名おった
何処へでも 商売に声をかけに行くので ヤバイと感じる場面もけっこうに遭遇したけれども たいした事は無かった ワシの10歳代の取り巻きの方が 断然ヤバイので
まあ しかし 1人なので 1匹の はぐれ者なので 危険というのは そこらじゅうに まして場所は関西なので、あるわけでして その時は 腹をきめるしか 方法はない
舐められたら お終いじゃし さ
なので 鉈を持って いた 今時なら 警察に 職務質問を受けると思う
まあ やましい事をするわけでは ないのだから 堂々としていなければ 余計に 危ない
・・・また 過去が 脳裏に廻ってきてるので この辺でやめとく
徐福が気になっていましてな
徐福伝説は 多分99% その歴史は 正しいと 今のところワシは そう考えています
徐福(じょふく)と物部(ものべ) って 関係は 深いように思うの
物部と出雲や 九州も深いようにも 感じます
この辺りに 一大勢力が 出来たと空想
そして 徐福の一団の中の 一定の人達は
富士山を目指したり 伊豆を目指したり
諏訪方面にも 進軍したと空想しますな
日本海側ならば なんども 言ってる 若狭 丹後半島付近も 行ってる 行ってる
龍神社 かごめ かごめ やぞ
鶴と亀や からね
伊勢付近にも 和歌山付近にも徐福は行った行った
諏訪方面に 2200年まえに 徐福の一部は 行ったの富士を目指したらば その奥にも入り込むとおもう
その富士山の北側には 人間は 住んでいなかったのかと 言うと それは4800年も前から 住んでいた人達がおったの それらの人々は 実に平和的に長年暮らしておったと思う その周辺が 藤内とうない遺跡
その遺跡から 多数の土器が出土していて それ模様を見ると とても平和に暮らしていたと思える
稲はあったのか どうかは 解からないが 山には どんぐりはたくさんあって それは その土器を使って巧みに まあ けっこうエエ食生活をしていた形跡があるの
諏訪湖から 流れる川には 魚も獲れて 山には 鳥やイノシシや 鹿は ようけおった
その場所で 多分4800年前から 住んで 平和に暮らしていた人々がおった
なんで 平和だった かと 言うと 食が担保されてたし
まあ 土器を見れば それは感じる
徐福の軍団が それらを 奴隷にしたのか 共生したかは それは 解からないが 先進文明を持って現れたのですからな ・・・
従順ならば 足かせを解くことも あったかも 知れない
徐福が 3000人も連れてきたと言う事は 何らかの事前に ニッポンの情報はもたらされていたと考えるのは当然だと思う
しかし 土器を造り のん気に暮らしているなかに
中国から 武装集団が 来れば ひとたまりもないよ・・
どんぐりは どないして食うのかと 言えば 石の臼で 粉にし それを 竹で編んだ ざる で すくって 息を吹きかけて 殻を飛ばして 実だけの粉にして煮炊きすると
山で生えている 食べれる草などと 焚けば 食える
餅も作れると思うで 4800年前でも 可能や 土器がそれを証明しているんだ
諏訪湖下すぐ付近の 富士の見える 南に向いた山のところに
とうない遺跡が あるのなら 暖かくなれば 一度訪問してみたい 大阪から350km 程か 中央道やな
その昔 現地人のワシらの遠い先祖 生け捕りされたかも 知れないよね
だいたい 顔が 横にごっつい タイプは 昔からの原始人の傾向や
毛深い 傾向もある
顔がほっそりした タイプは そうじゃなあ
新たに 何波になるか 知らないが
時代にもよって違いはあるにしろ
大陸からの幾度となく来た渡来系
中国の南部から来たのかも知れないですよね
徐福の場合は確実に そうじゃ
しかし 徐福の軍団の影響ならば
秦の始皇帝の系統なので もっと過去には
中東方面から来たかもしれんぞ
そうなると旧約聖書を信じる民の血筋かもねえ
とにかく 雪が解けるのを待って 諏訪周辺の探索は
出自を求めていって その土器や 風景を見てみたい
今日ワシが 書いてるのは2200年前から4800年前の
ことでして 1500年ほど 前の時代の事ではないのでな
勘違いのないようにね
脳みそが 変わっているのでさ 時代というか 時間を飛んでしまっておるんや
大化の改新 から 以降のことではないのんじゃ
ワシ所の 岡山の 村から 出土した 平福遺跡の石棺の紋様 ほのぼのとしてる
あの石棺のデザインと 諏訪の4500年以上も前の
デザインが なんか似ているとワシは 感じてるんじゃ
相場が 苦しい時には 古代への瞑想が エエですね
6時半か 緩和縮小ペースは 予測どおりだったね
当たった しかし 当たっても円安く なっていないじゃない
米にとっての金融政策決定会合なので 新興国の事は気にしないは 当たったと思う
バタ屋 東内誠(藤内 とうない)の会社のホームページは↓
http://www.tohnai.com/top_main.html
屑関連の仕事がありましたらば
お気軽にお申し付けください
関西一円 量があれば お伺いします
工場の解体 重量物の運搬 搬出作業
銅の高価買取り
プラスチックの再生
くず鉄問屋 非鉄問屋 産廃処理も2工場が許可
小型家電リサイクル認可工場並みの
レベルは有しておりますが
申請は検討中です トーナイの東内誠
電話は072-678-1112 (代表)
【諏訪大社 藤内 とうない遺跡で検索したら】
【他人様の物を 少し コピー『』↓】
藤は産鉄のキーワードか
『中山神が美作国楢原邑神宿に初めて示現したとき,
触媒的役割りを 果たしたのが
「とうない東内/藤内」氏であった。
藤内氏は菰を刈って
チマキを作り神を饗応したといい,
その功から以後
明治初年まで美作東半国の
初穂料を徴収し,
中山神社に納める 職能を担うこととなる。
中山神の古代金属生産とのつながりや,楢原地域の産銅・産鉄の可能性の高いことを指摘したところでもある。
また,フジにかかわる伝承として特異な感じのものが, 出雲と播磨の両国に残っている。 いずれも鉄産にからむもののようで, まずは出雲の話からかいつまんで述べておきたい。
出雲のとうない(藤内)
柳原大納言なにがしが勅使として出雲大社へ下向のみぎり, その警護役のものに
藤内某というものがあった。
能義郡布部というところに至り, 宿泊した長者の家で近辺(比田)に巣くう魔物の話耳にし, 大納言の命により 藤内が退治することになる。 山王権現の使いである猿の案内でめでたく化物を打ち取るが, 頭は人のようで 白髪三尺あまり, 四足は狼・尾は牛に似て,前身黄色の毛に覆われていたという。
藤内はこの地に留まり, 比田の山麓に宮を建てて鎮守とした。 その後藤内の子孫は四十数代続いて今日に至り, いま田辺の姓を名乗っているという。
(原話:田辺善明/再話:小汀松之進)
以上 他人様原稿からの一部コピー
以下は 私の文書です
ウィ鬼ペテァからの
藤内(何時の時代からか東内)は
藤原氏の 私的 家来というか 雑役係りで
警護 ご主人様の旅の先までも警備 あらゆる
雑役などの業務
行けと 言われれば 皆殺し にも行く お役目 である
藤内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤内(とうない、ふじうち)
日本の姓のひとつ。
日本の古代から近世までの貴族である藤原氏 に
任ぜられた内舎人 を藤内と呼称した。
血や 汚れ仕事も 命じられれば 行くのんじゃ
なんか ワシの体内に 多分に その血は
感じる所が あります
時代によっては 穢れから 差別を受けた時代もあったかも 知れません
しかし そんな事には 東内は 感知しない
藤原王の 言われる事には 忠実に番犬の如く
働いたのですから 戦士/雑役の血筋には誇を持ちたい
王が その地に留まり 番をせい と おうせつかれば
1300年間でも 従順に 従う者なり 藤内 東内
千数百年も過去から 武器を持って警護させて戴いた
藤原系の おえらい方が このつたない文章を
ご覧下されば
トーナイを覚えて おいてくださいまして
今 ワシ グローバルなゴミの循環型を進めたいのです
何か お役に立ちます仕事をしたい
0120 535319が連絡先でございます