7歳の頃より絵は当時日本画の巨匠であった邨田丹陵先生に小石川の自宅に来て頂き直接習っていた。
先生の代表作としては「大政奉還の図」であった。
のちに先生より「秀花」の銘を頂く。
終生書き残したものは百点をこえる。
60代のころ個展を開いた事もあった。
字に関しては姉の喜久子妃殿下より有栖川流と言う特別の流派を直接教わっていた。
晩年母は妃殿下の代筆もさせて頂いた事もあった。
現在有栖川流派を継承されている方は数名しかおられない。
やはり60代の頃毎日書道展の先生より「司香」の銘を頂く。
亡くなる年まで好きで書いていたのは家康公の「東照公遺訓」であった。
この遺訓は生涯1000枚程書いていた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
先生の代表作としては「大政奉還の図」であった。
のちに先生より「秀花」の銘を頂く。
終生書き残したものは百点をこえる。
60代のころ個展を開いた事もあった。
字に関しては姉の喜久子妃殿下より有栖川流と言う特別の流派を直接教わっていた。
晩年母は妃殿下の代筆もさせて頂いた事もあった。
現在有栖川流派を継承されている方は数名しかおられない。
やはり60代の頃毎日書道展の先生より「司香」の銘を頂く。
亡くなる年まで好きで書いていたのは家康公の「東照公遺訓」であった。
この遺訓は生涯1000枚程書いていた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)