昭和20年8月15日、遂に終戦となる。
母もラジオから聞こえてくる玉音放送を聞き負けた悔しさ、悲しさよりこれで終わったと何かホッとした気持ちがあったと言っていた。
これでまた夫と娘と暮らせる気持ちの方が強かった。
東京の原宿の家は焼けてしまい、千駄ヶ谷の家に義父母と暮らす事となる。
そこで只々夫の帰還を待ち続ける毎日になった。
しかし母の元に届いたのは夫の戦死の通知であった。
届いたのは翌年のことであった。
しかし母は、遺体を見た訳でも無く、とても信じる事はできなかった。
だが、時間がたつにつれ、母も「今は日本中がこの様な事になっている。自分だけ受け入れないことではいけない。」と思うようになった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
母もラジオから聞こえてくる玉音放送を聞き負けた悔しさ、悲しさよりこれで終わったと何かホッとした気持ちがあったと言っていた。
これでまた夫と娘と暮らせる気持ちの方が強かった。
東京の原宿の家は焼けてしまい、千駄ヶ谷の家に義父母と暮らす事となる。
そこで只々夫の帰還を待ち続ける毎日になった。
しかし母の元に届いたのは夫の戦死の通知であった。
届いたのは翌年のことであった。
しかし母は、遺体を見た訳でも無く、とても信じる事はできなかった。
だが、時間がたつにつれ、母も「今は日本中がこの様な事になっている。自分だけ受け入れないことではいけない。」と思うようになった。
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