サイパン島での日本軍の闘いは言葉にできない壮絶なものであった。
海からの艦砲射撃は恐ろしく強烈で正確であった。
連日物凄い勢いで、本当に島の形が変わった程であったと言う。
米軍は高性能金属感知器レーダーを使い、いくらジャングルの中に隠れていても的確に爆撃されたと言う。
また、父は終戦後、戦記物の雑誌「丸」の「精強261;虎部隊;サイパンに死すとも」と言う長編記に、米軍の凄さと圧倒的な物量の凄さを詳しく書いている。
その中で軍医としての驚きを語っていた一節がある。
爆撃にて戦死した者は勿論多数を占めたが、次に多かったのが破傷風、風土病で死んで行った兵士の多さであった。
戦後、父は米軍の破傷風で死んだ兵士は僅か6人であった事を知り驚嘆した。
米軍では、そのころすでに破傷風トキソイドと、ペニシリンおよび乾燥血清を多量に使用し、その予防と治療に多大な威力を発揮したことを知ったのである。
学生の頃習った外科的治療の自負も物資の乏しい戦地では発揮できず、頭の中で分かって居ても只々打ちのめされたのである。
地獄の現実を前にして。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
海からの艦砲射撃は恐ろしく強烈で正確であった。
連日物凄い勢いで、本当に島の形が変わった程であったと言う。
米軍は高性能金属感知器レーダーを使い、いくらジャングルの中に隠れていても的確に爆撃されたと言う。
また、父は終戦後、戦記物の雑誌「丸」の「精強261;虎部隊;サイパンに死すとも」と言う長編記に、米軍の凄さと圧倒的な物量の凄さを詳しく書いている。
その中で軍医としての驚きを語っていた一節がある。
爆撃にて戦死した者は勿論多数を占めたが、次に多かったのが破傷風、風土病で死んで行った兵士の多さであった。
戦後、父は米軍の破傷風で死んだ兵士は僅か6人であった事を知り驚嘆した。
米軍では、そのころすでに破傷風トキソイドと、ペニシリンおよび乾燥血清を多量に使用し、その予防と治療に多大な威力を発揮したことを知ったのである。
学生の頃習った外科的治療の自負も物資の乏しい戦地では発揮できず、頭の中で分かって居ても只々打ちのめされたのである。
地獄の現実を前にして。
徳川おてんば姫(東京キララ社)