叔母の喜久子妃殿下にはお子様がおられなかった。
怒られるられるかもしれないが、私と弟が子供の頃、叔母、甥ではなくて、孫のように思っていただいていたのではないかと、今思うと感じてならない。
私の母とは11歳も離れていたからである。
母自身も幼い頃母を亡くしていたので、姉というよりも母親の感覚だったようだ。
また、父親の顔を(母の父、慶久は母が生まれる半年前に亡くなった)知らない母にとっては高松宮殿下が同じく父親のようであった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
怒られるられるかもしれないが、私と弟が子供の頃、叔母、甥ではなくて、孫のように思っていただいていたのではないかと、今思うと感じてならない。
私の母とは11歳も離れていたからである。
母自身も幼い頃母を亡くしていたので、姉というよりも母親の感覚だったようだ。
また、父親の顔を(母の父、慶久は母が生まれる半年前に亡くなった)知らない母にとっては高松宮殿下が同じく父親のようであった。
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