平成18年母のところに文芸春秋と産経新聞のトップライターの二人の方より突然徳川慶喜公の孫娘としての本を書かないかと言う話が来る。
母はとても喜び、承諾し以降十数回インタビューを受けて、慶喜公の祀られている谷中にも行き、また小石川の生まれ育ったところにも足を運んだ。
しかし、執筆中に四回も腰の骨を折ってその都度入院、手術をしその間執筆は中断となり結果頓挫してしまう。
母はとても残念がっていた。
平成27年、たまたま私が東京キララ社の中村代表に紹介されて本の話をしたことから急速に執筆活動が再開となった。
キララ社も何度も自宅、谷中、小石川、と動いてくれて約二年で出版に至った。
平成30年6月6日に初版本を自宅に届けてくれ、その折デイリースポーツの記者も同行してくれた。
母には最初で最後のインタビューとなった。
平成30年(2018年)6月12日初版発行 東京キララ社。
95歳で作家デビューと母の波瀾万丈の内容が、ネット、新聞、雑誌などに取り上げてもらい大きな反響を呼んだ。
お陰様で初版の3000部は二日で完売となり、その後も重版を重ねている。
本ができたことでまるで母はとてもとても安心したのか、また張っていた緊張の糸が切れたのか、その晩40度の熱が出る。
すぐに緊急入院となった。
出版後、多方面より取材の依頼もあったのだが一つとして受けることができなかった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
母はとても喜び、承諾し以降十数回インタビューを受けて、慶喜公の祀られている谷中にも行き、また小石川の生まれ育ったところにも足を運んだ。
しかし、執筆中に四回も腰の骨を折ってその都度入院、手術をしその間執筆は中断となり結果頓挫してしまう。
母はとても残念がっていた。
平成27年、たまたま私が東京キララ社の中村代表に紹介されて本の話をしたことから急速に執筆活動が再開となった。
キララ社も何度も自宅、谷中、小石川、と動いてくれて約二年で出版に至った。
平成30年6月6日に初版本を自宅に届けてくれ、その折デイリースポーツの記者も同行してくれた。
母には最初で最後のインタビューとなった。
平成30年(2018年)6月12日初版発行 東京キララ社。
95歳で作家デビューと母の波瀾万丈の内容が、ネット、新聞、雑誌などに取り上げてもらい大きな反響を呼んだ。
お陰様で初版の3000部は二日で完売となり、その後も重版を重ねている。
本ができたことでまるで母はとてもとても安心したのか、また張っていた緊張の糸が切れたのか、その晩40度の熱が出る。
すぐに緊急入院となった。
出版後、多方面より取材の依頼もあったのだが一つとして受けることができなかった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)