開戦後、半年もたつと東京にも空襲が始まり、義父の知り合いがいる八王子へ疎開する事になった。
荷物を運び出しているときに母の嫁入り道具をつんだトラックは焼けてしまった。
八王子の大きな農家では、姑と年あけに産まれた娘と三人の生活がはじまった。
母は毎日リヤカーを引き、20キロのジャガイモをリュックサックにつめて運んだそうだ。
リヤカーも最初のうちは腰がふらついて若い兵隊たちに笑われたそうであった。
「笑ってないであなた達も引きなさいよ」と心の中で言って、頑張った。
毎日、毎日その繰り返しで、手は豆だらけ、背中はジャガイモのおかげであざだらけになった。
薪を割り、風呂を沸かし食事を作った。
今までやってもらっていたことすべて一人でやった。
晩年、母は「あの時は皆がそうだったのよ」と簡単に言っていた。
終戦が近くなった頃八王子にも空襲が襲ってきた。
焼夷弾がバラバラと降って来た。
住んで居た茅葺屋根にも火がつき燃え始めた。
姑に娘を託して防空壕に入れ、母はバケツに水を汲んで梯子を登り何杯も屋根に掛け、何とか延焼を食い止めたのである。
まさに「おてんば姫」のお手柄だった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
荷物を運び出しているときに母の嫁入り道具をつんだトラックは焼けてしまった。
八王子の大きな農家では、姑と年あけに産まれた娘と三人の生活がはじまった。
母は毎日リヤカーを引き、20キロのジャガイモをリュックサックにつめて運んだそうだ。
リヤカーも最初のうちは腰がふらついて若い兵隊たちに笑われたそうであった。
「笑ってないであなた達も引きなさいよ」と心の中で言って、頑張った。
毎日、毎日その繰り返しで、手は豆だらけ、背中はジャガイモのおかげであざだらけになった。
薪を割り、風呂を沸かし食事を作った。
今までやってもらっていたことすべて一人でやった。
晩年、母は「あの時は皆がそうだったのよ」と簡単に言っていた。
終戦が近くなった頃八王子にも空襲が襲ってきた。
焼夷弾がバラバラと降って来た。
住んで居た茅葺屋根にも火がつき燃え始めた。
姑に娘を託して防空壕に入れ、母はバケツに水を汲んで梯子を登り何杯も屋根に掛け、何とか延焼を食い止めたのである。
まさに「おてんば姫」のお手柄だった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)