徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

母・井手久美子〜絵と字③〜

2019-05-08 08:12:07 | 日記
今回の写真は、高松宮喜久子妃殿下がお茶会に招かれたお礼として書く短冊であったが、風邪を召されて母に代筆を頼んだものである。

母は子供の頃より、妃殿下に有栖川流を直接教わっていた。
妃殿下も母の字はお好きだったので、母に頼んで書かせたのである。

約50枚の短冊を書いた。
妃殿下は大変お気に召したようであったが、後に改めて自分でお書きになってお渡ししたそうである。



母・井手久美子〜再婚と家の重さ〜

2019-05-08 05:00:00 | 日記
暫く経つと、母もまだ若かった事もあり、周囲が母の再婚の話で動きだした。
候補は幾つかあった。

母にはその気持ちがなくとも、周りが動けば逆らうことは当時はできなかった。
しかしそこで大きな問題があった。
最愛の娘との別れであった。

母も徳川家で育った人間として、家が背負った歴史の重みは十分心得ていた。
しかし、やはり母親としての感情の方が家よりも勝るのが女の性である。
渋る母を、徳川家と松平家で説得され娘は松平家に残り、母だけが離籍する事となった。
母が身を引くことで、連綿と続く松平家の「葵の御紋」を後世に残していくことが出来たと考える事にした。

昭和22年12月母は、成城高校の同級生の井手次郎と再婚する事となった。
当時の日本の状況下では盛大にとはいかず、ささやかな結婚式を挙げた。

約2年間、目白の自宅で25人で共同生活をしたのち、横浜に移り住む。
そこで小さな医院を開院。
外科医としての父の手伝いをする。

徳川おてんば姫(東京キララ社)