徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

私・井手純〜帝国ホテル時代2-番外編④〜

2019-06-19 05:00:00 | 日記
「大荒れの婚礼」(続き)

宴会場の後かたずけをしていると「井手さん、上のラウンジから連絡があり、すぐ来てくれと言っていました。」すぐに17階へ行くと、ラウンジの入り口にある高さ140センチの花瓶は割れて倒れ、花が飛び散って凄いことになっていた。
何が起きたかわからないまま、横のソファーを見るとなんと、先ほどの新郎の父が数人の身内の人に押さえつけられていた。私も驚いてそばに行くと、私を見て「井手!この野郎!」と言っていきなり私の胸ぐらをもの凄い力で掴んだ。
その勢いでシャツは破れ蝶ネクタイは吹っ飛んだ。
そして、チョウパン(頭突き)をされそうになったとき、押さえていた若い人が手のひらを私の額に当てて、防いでくれた。
その時、私の胸ぐらをつかんでいた腕のシャツがまくりあがりそこには手首までの刺青がみえた。

何故、こんなことが起きたのか・・・新郎の父は着替えが済んだ後そのまま17階のラウンジへ直行され、入り口で予約の名前を言った所、対応に出た副支配人が「予約は受けておりません。」と簡単に断ったそうである。
確かにラウンジの前には順番を待っているお客様がかなりいた。
とても飛び込みの予約は取れない状態ではあったのだが・・・

(続く)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

私・井手純〜帝国ホテル時代2-番外編③〜

2019-06-18 05:00:00 | 日記
「大荒れの婚礼」(続き)

式が始まると、私は介添えと簡単な打ち合わせをする。
特別のことが無ければ10分程で打ち合わせは済む。
この日も特に問題なく式が済むのを待ち、スムーズに進行していった。
その後披露宴会場に皆様を案内する。
会場の前室にはすでに多くの来賓が来られており、ご両親はその対応に大忙しとなる。

披露宴開始の30分前には新郎新婦、両家のご両親に並んでいただき、来賓の方々の入場となる。
昼の披露宴は一応3時間で済ませなければならない。
何故なら、その後夜の披露宴が控えているからである。
我々はせかすことなく、そして滞る事の無いように淡々と進めていかなければならないのである。
祝辞が長かったり、新婦のお色直しに時間がかかったりと、問題は限りなくあった。

披露宴は大変盛り上がり皆様に祝福されながら終盤を迎えた。
スケジュールも時間通り進行していった。
その時、新郎と母親の会話が私の耳にはいってきた。
「オヤジまた、やらなければいいけどな!」これを聞いて一抹の不安を感じたが、もうすぐお開きの時間で私も忙しく、その会話のことは忘れてしまっていた。

新郎の父からの謝辞も、来賓のお見送りも済み、新郎の父は大喜びで縞のネクタイを頭に巻き大変ご機嫌で「おい!井手、これから衣装返してくるから17階のラウンジ30名で取ってくれ。」と言い残して下の美容室へ行ってしまった。
二次会である。

すぐ内線電話でラウンジに連絡すると、若い女の子が電話口で「30名一緒は今無理なので取り敢えず二組で用意します。」と言った。
この日はホテル中満杯で「それでも何とかとれたから良かった。」と、ホッとしたのだが・・・・・

事件は20分後に起きた!

(続く)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

私・井手純〜帝国ホテル時代2-番外編②〜

2019-06-17 05:00:00 | 日記
「大荒れの婚礼」(続き)

ある日の週末、約300名の披露宴の担当になった。
先ずは、両家のご両親にご挨拶をするため、宴会場4階の小部屋に向かった。小部屋の前に行った時、何かいつもと違う異様な雰囲気を感じた。
入口には、まるで番人のような強面の人が立っており、昼の披露宴にもかかわらず中では母親らしき人が親族に焼酎の水割りを作って配っている。
式が10時、披露宴は12時からなので、まだ9時過ぎのことであった。(通常は桜湯を出すのである。)

朝から皆さんよくお飲みになるなと、思いながら一礼をして室内に入った。
窓際の中央のソファーにご新郎の父親らしき方がおられたので、前に行き「本日担当責任者の井手でございます。」と挨拶をすると、父親は私の手を突然握り「おお!よろしく・よろしく頼むよ。慣れて無いから何にもわからないんだ。とにかく、よろしく!」と何度もいわれた。
母親も気が付いて一緒に挨拶された。
ご媒酌人も紹介して頂き、とりあえずスタートした。

ご両親ともとても喜ばれて居たので、少し安心して隣りの新婦側のご両親にも挨拶を済ませた。
当日は大安吉日のこともあり宴会場は全て埋まっていた。
式の15分前に新郎も羽織袴で、新婦は介添えに手を引かれながら到着された。
新郎は180センチの立派な方で今風にいうと”かなりのイケメン”の好青年であった。
この時が私との初対面であった。
式の6~7分まえに両家の親族一同廊下に並んで頂き式場へ向かった。
この様に分刻みの移動で進行していくのである。

(続く)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

私・井手純〜帝国ホテル時代2-番外編①〜

2019-06-16 07:24:42 | 日記
「大荒れの婚礼」

ちょっと今では言えないような話なので、話半分で聞いて頂きたいエピソードがある。

帝国ホテルでの婚礼披露宴は年間1000件は超えていた。
土日祝日、平日も含めとにかく多かった。
披露宴の予約、宴会場の押さえ、等々は殆ど宴会予約課で行う。
私共現場の者は、当日初めて御家族の方々とお会いする。
当然、新郎新婦ともその日に対面し、ご挨拶をする。
特に、それぞれのご両親への最初のご挨拶は一番気を使った。変な言い方だが、全てのご家族が喜んでいるわけではないからである。
ご家族内の事は分からないが、挨拶をした段階である程度感じることもある。

いずれにしても、我々にとっては毎週担当しているとはいえご両家の緊張は相当なもので、その緊張をいかにほぐすかが大事だった。
丁寧過ぎても、馴れ馴れしい態度でも、勿論駄目である。
御家族にとっては一大イベントなので当然の事、気を遣って使いすぎることはないのである。

披露宴の予約について少し書いてみる。
今はネットなどでの予約なのだろうが昭和の後半から平成にかけてはご当人ふたりが来館され申し込みをされた。
日時と人数氏名等々記載して宴会場を見て決定されると、申込金20万円を支払い、決まる。
その後3~6ヶ月程細かい打ち合わせをする。
その間は当日お世話をする我々はほとんど参加しないのだ。
宴会予約課の書いたオーダーペイパー(op)を毎日現場担当の者がチェックしていく。

来賓名簿が届くことはまれで、閣僚や財界の役員が来られるとき、または今でいう反社会的(いわゆる組の方)出席などの時のみである。
この名簿が届くまでは分からないのである。
内容を見て現場担当者も決まることが多い。
当日までわからないことも、ままあった。

(続く)
徳川おてんば姫(東京キララ社)

私・井手純〜帝国ホテル時代2-④〜

2019-06-15 05:00:00 | 日記
数日間の大宴会(トヨタ世界大会)も無事終了した。
翌日朝一でトヨタ東京本社秘書室から呼び出しがかかった。
秘書室に行くと早速「あの時、ご夫妻に何を言ったのか?」当然そのことを聞かれた。
私としては只々軽率な態度をお詫びしたが、秘書課長から「とにかく、事情を説明して欲しい。」と改めて言われた。
変な誤解を招いてもまずいと思い全て話をした。

秘書課長は全て聞いた後「よくわかりました。しかし我々秘書課は分刻みで全て社長の動きを把握することが絶対なので、今後その様な事情があれば私に言って下さい。必ずお会い出来るように取り計らいます。」と言って下さった。
トヨタの秘書課長と直接アポイントメントを取ることは大変な事なのである。
母との繋がりがあったことで、この様な事が起こったのだが、そのお陰でホテル側には何の報告もお咎めも無かった。

少し母には感謝した。
また私も猛省した。


徳川おてんば姫(東京キララ社)