一方通行のマーク。その下に付け足しで「この先100m」の文字。
この交通標識、一見して、意味をどう捉えるだろう?
(1)「ここから先100mの区間が一方通行である」
(2)「この100m先から一方通行の区間が始まる」
正解は(2)なのだが、(1)と誤解する人は多いのではないだろうか。
この標識は、100m先から一方通行区間が始まるが、つまり、100m先までは進入可能なのだが、
進入した場合、場合によってはそこから先が行けなくなって、
バックで戻ってこなくてはならなくなるかも知れないので、「100m手前からあらかじめ予告している」
という主旨のものなのだ。
しかし、「この先100m」という言い回しの、なんとも舌足らずなことよ。
たとえば「この先2km 渋滞」と言ってみたとしても、
「今いるここから2kmの渋滞区間が始まる」とも取れるし、
「この先2km進むと渋滞にぶつかる」とも取れる。
同様に、「一方通行 この先100m」も、
「今いるここから100mは一方通行である」とも取れるし、
「この先100m進むと一方通行区間にぶつかる」とも取れる。
もちろん、冷静に考えれば、一方通行区間が何mであるかを情報として明示する必要はないわけだから、
(1)の意味ではない、ということがわかるが、
まさに一方通行になるくらいの狭い路地で車を取り回しているドライバーが、
一方通行の標識をまず見せられれば、「ここから先はもう入れないのだ」と誤認することは充分ありえる。
事実、僕の家の近くにもそのような道路があるが、
市販やWEBの複数の地図で、ここで言う「100m」の区間にあたる路地が、一方通行扱いにされている。
つまり、世間ではもう立派に誤認されているのだ。
ではどうすればいいのか。簡単なことだ。
「この先100m」ではなく「100m先から」とすればいい。文字数も変わらない。
これで、「ここから100mにわたって一方通行区間なのだ」と(1)の意味に取り違える人もいなくなるだろう。
「お役所的用語取り扱いルール」の縛りから逃れられないのか知らないが、
この標識の作り手は、現実の日本語の語感が伝えてしまう紛らわしい差異を理解できない、
「日本語力の乏しい人」と思わざるをえない。
この交通標識、一見して、意味をどう捉えるだろう?
(1)「ここから先100mの区間が一方通行である」
(2)「この100m先から一方通行の区間が始まる」
正解は(2)なのだが、(1)と誤解する人は多いのではないだろうか。
この標識は、100m先から一方通行区間が始まるが、つまり、100m先までは進入可能なのだが、
進入した場合、場合によってはそこから先が行けなくなって、
バックで戻ってこなくてはならなくなるかも知れないので、「100m手前からあらかじめ予告している」
という主旨のものなのだ。
しかし、「この先100m」という言い回しの、なんとも舌足らずなことよ。
たとえば「この先2km 渋滞」と言ってみたとしても、
「今いるここから2kmの渋滞区間が始まる」とも取れるし、
「この先2km進むと渋滞にぶつかる」とも取れる。
同様に、「一方通行 この先100m」も、
「今いるここから100mは一方通行である」とも取れるし、
「この先100m進むと一方通行区間にぶつかる」とも取れる。
もちろん、冷静に考えれば、一方通行区間が何mであるかを情報として明示する必要はないわけだから、
(1)の意味ではない、ということがわかるが、
まさに一方通行になるくらいの狭い路地で車を取り回しているドライバーが、
一方通行の標識をまず見せられれば、「ここから先はもう入れないのだ」と誤認することは充分ありえる。
事実、僕の家の近くにもそのような道路があるが、
市販やWEBの複数の地図で、ここで言う「100m」の区間にあたる路地が、一方通行扱いにされている。
つまり、世間ではもう立派に誤認されているのだ。
ではどうすればいいのか。簡単なことだ。
「この先100m」ではなく「100m先から」とすればいい。文字数も変わらない。
これで、「ここから100mにわたって一方通行区間なのだ」と(1)の意味に取り違える人もいなくなるだろう。
「お役所的用語取り扱いルール」の縛りから逃れられないのか知らないが、
この標識の作り手は、現実の日本語の語感が伝えてしまう紛らわしい差異を理解できない、
「日本語力の乏しい人」と思わざるをえない。