坂井真紀が出ている味の素のCM「日本のお母さん篇」がいい。
家事に、子育てに、仕事に頑張るお母さんの1日を追うストーリーがいい。
会社で会議中のお母さんが、ちらっと腕時計を見て、ちょうどお昼時で、
「子どもたちは保育園でちゃんと弁当を食べているかな…」と思いを馳せる描写、実に心憎い。
「昔からお母さんは子どもたちのために頑張ってごはんを作っていました」と、
フィルム調の映像やアニメを挟み込む構成もいい。
音楽もいい。
率直に言って、泣ける。
ただ、見ているうちに、「あれ?」と思う。
「共働きの家庭で、父親はいったい何をしているの?」
そう思って、父親の様子に注意を向けてあらためてこのCMを見てみると、
なんとまあ、父親の存在が「遠景」に置かれていることか。
・目覚まし時計のアラーム音を聞いてハッと起き上がるのは母親だけ。
隣の父親は「我関せず」と寝入ったまま。
・子どもが朝食をとる時、やはり父親は「我関せず」と後ろでパソコンを叩いている。
・子どもたちの着替え。父親も手伝っている。子が2人いるから、1人を母親が、1人を父親が。
しかしいかにも「父親だって少しはやってます」というアリバイ工作臭がする。
・食事の支度、弁当の用意、洗濯、子どもの送り迎え、買い物…やるのはみんな母親の方だけ。
・そして夕食の食卓には、当然のように父親はいない。
こういった点に気づくと、途端にこのCMに強烈な違和感を覚えてしまう。
なるほど確かに、家事も子育ても仕事も笑顔でがんばるお母さんは美しい。
だが、「父親が家庭のことに協力しないから」「父親の影が薄いから」
お母さんが頑張らざるをえない、という状況は、まったく美しくない。
こうした「まったく美しくない状況」を実に美しくまとめあげているという点で、
このCM、本当はものすごくタチが悪いのかも知れない。
こみ上げてくる違和感は、CMのラストカットで頂点に達する。
テーブルの上に並べられた「味の素」だの「ほんだし」だの「クックドゥー」だのの、
「手抜き料理のための商品ラインナップ」…。
うーん、この会社に「お母さんは頑張ってます」なんて励まされたいかなあ…?
家事に、子育てに、仕事に頑張るお母さんの1日を追うストーリーがいい。
会社で会議中のお母さんが、ちらっと腕時計を見て、ちょうどお昼時で、
「子どもたちは保育園でちゃんと弁当を食べているかな…」と思いを馳せる描写、実に心憎い。
「昔からお母さんは子どもたちのために頑張ってごはんを作っていました」と、
フィルム調の映像やアニメを挟み込む構成もいい。
音楽もいい。
率直に言って、泣ける。
ただ、見ているうちに、「あれ?」と思う。
「共働きの家庭で、父親はいったい何をしているの?」
そう思って、父親の様子に注意を向けてあらためてこのCMを見てみると、
なんとまあ、父親の存在が「遠景」に置かれていることか。
・目覚まし時計のアラーム音を聞いてハッと起き上がるのは母親だけ。
隣の父親は「我関せず」と寝入ったまま。
・子どもが朝食をとる時、やはり父親は「我関せず」と後ろでパソコンを叩いている。
・子どもたちの着替え。父親も手伝っている。子が2人いるから、1人を母親が、1人を父親が。
しかしいかにも「父親だって少しはやってます」というアリバイ工作臭がする。
・食事の支度、弁当の用意、洗濯、子どもの送り迎え、買い物…やるのはみんな母親の方だけ。
・そして夕食の食卓には、当然のように父親はいない。
こういった点に気づくと、途端にこのCMに強烈な違和感を覚えてしまう。
なるほど確かに、家事も子育ても仕事も笑顔でがんばるお母さんは美しい。
だが、「父親が家庭のことに協力しないから」「父親の影が薄いから」
お母さんが頑張らざるをえない、という状況は、まったく美しくない。
こうした「まったく美しくない状況」を実に美しくまとめあげているという点で、
このCM、本当はものすごくタチが悪いのかも知れない。
こみ上げてくる違和感は、CMのラストカットで頂点に達する。
テーブルの上に並べられた「味の素」だの「ほんだし」だの「クックドゥー」だのの、
「手抜き料理のための商品ラインナップ」…。
うーん、この会社に「お母さんは頑張ってます」なんて励まされたいかなあ…?