「スピークイージー」。古いギャング映画ファンならご存じだろう。一九二〇年代の米国。悪名高き禁酒法の時代に無許可で営業していたもぐりの酒場をそう呼んだ▼この場合のイージーとは「落ち着いて」「あわてないで」というニュアンスか。大声で話せない場所なので「スピークイージー」。おおっぴらにはできない酒場である▼コロナ対策の必要性は重々認めるとして、そのやり方に失敗した禁酒法を連想してしまう。政府が閣議決定した新型コロナウイルス特別措置法改正案である。飲食店などの事業者に対し、知事が休業や営業時間の短縮を命令でき、応じない場合は罰則を科す▼感染対策として営業を厳しく規制したいのは分からないでもないが、本当に効果はあるのか。禁酒法の失敗でいえば、国が力ずくで禁止したところで、人は隠れて酒を飲み、売ったのである。スピークイージーは大繁盛し、密造酒でマフィアは大もうけした▼罰則を科しても、残念ながら隠れて営業を続ける店は出てくる。生活のため、営業をやめるわけにはいかぬという事情があるのならば罰則よりも休業や時短営業に対する協力金を手厚くした方がまだ営業規制に応じやすかろう▼今週から与野党の修正協議が始まる。危機の中では荒っぽい手法が認められやすいものだ。「スピークイージー」。「落ち着いて」議論していただきたい。
大空に飛行機を見つけた少年は父親にこう言った。「大人になったらパイロットになる」。父親は答えた。「黒人はパイロットになれない」▼「じゃあ野球選手になる」「黒人は野球選手になれない」。父親の言葉にも少年は野球選手を目指し、やがて野球の神様ベーブ・ルースを超える選手となった。通算本塁打七百五十五本。ブレーブスの強打者ハンク・アーロンさんが亡くなった。八十六歳▼黒人リーグ時代はバットを逆に握っていたそうだ。右打者の握りは右手が上にくるが、この人は左が上。それでも打てるほど手首が強かった▼「ルースの本塁打記録を追いかけることは最高の喜びとなるはずだったが、最悪だった」と書いていた。白人のルースの記録を黒人が塗り替えるのは許せない。そう考える人々がいた。「引退しろ」「キング牧師は早死にした」。届いた九十万通の手紙。大半が脅迫や嫌がらせだった▼その手紙を捨てなかった。それを見て記録更新の励みとした。自身の苦い経験からだろう。王貞治選手がアーロンさんの通算本塁打記録を抜いた時、一切、ケチをつけず、称賛した。アーロンが認めた。当時の日本の少年にはそれがどれほどうれしかったことか▼練習の人だった。差別や憎悪にも心を乱さず、努力する。なるほど偉大な野球選手であると同時に人々の水先案内人(パイロット)になっていた
Vin Scully calls Hank Aaron's historic 715th home run
審査員特別賞
届いた声
佐々木 美和(34歳) 北海道北広
毎朝玄関の前に立っているおじさんがいる。あいさつしてもみけんにシワを寄せ口をつぐんだまま。次の日も「明日は休刊日です」と新聞を差し出すと、無言で取り上げ玄関に戻って行く。
半年たった頃、おじさんがいなかった。ポストに入れると玄関からおばさんが出てきた。
「あなたが毎日、新聞を届けてくれる子ね。主人は新聞が来るのを楽しみにしてたのよ。実はのどのがんでお話ができなかったの。耳もほぼ聞こえなくてね。毎日、新聞と私しか相手が居なかったから。でもいつしかあなたが来るのを待ってたわ。1時間も前から何度も外に出て行ったり来たり。最近具合が悪くて入院してるのよ。これからはポストに入れてちょうだい」
それから半年後、おじさんが立っていた。「おはようございます。お久しぶりです」。
おじさんがいつものように顔色を変えずに受け取った。
でも玄関に入るときに笑顔が見えた。私の声も届いた気がした。
米連邦議会はキャピトルヒルと呼ばれる小高い丘にある。詩人のアマンダ・ゴーマンさんが詩を書いていたのは、暴徒と化した人々がその丘を登り、議事堂を襲撃していた、その時だったという▼「私たちが登る丘」。二十二歳の黒人女性であるゴーマンさんが、バイデン大統領の就任式で、読むことになる詩である▼「私たちは深く悲しみながらも成長した」「この分断を終わらせる。私たちは、未来を大切にするならば、まずは違いを脇に置かなければならないことを知っているから」。登るべき本当の場所を示しているのだろう。世界中が見た就任式の後、大きな反響を呼んでいるという▼自ら「奴隷の子孫で、シングルマザーの家に育ったやせた女の子」と境遇を語りつつ、人々の和解や再び理想に向かうことへの願いがつづられている。足りない読解力がうらめしいが、辞書をにらみつつ読めば、称賛される理由は伝わってくる▼天地を動かし、鬼神を感動させるのが歌だとわが国の古今和歌集も言っている。朗読で数分間の詩ではあったが、無数の言葉を連ねる政治家の演説をしのぎ、人の心を動かす力があったようだ▼ディールなどと言って、理想よりも取引に勝つことに指導者が重きを置いていた時代である。米国の器の健在ぶりにほっとした国民もいるのではないか。登るべき丘の道は長く険しそうではあるけれど。
笑顔のすてきな先生だったそうだ。給食の時間。先生はみんなに歌ってという。<今は山中 今は浜>。唱歌「汽車」。先生は歌声に合わせて、山や浜や鉄橋、汽車を黒板にどんどん描いていく。子どもたちは喜んだそうだ。先生はどんな歌も描けた▼戦後間もない時代。その人が教員だった当時の思い出をかつての教え子が書いていらっしゃった。画家で絵本作家の安野光雅さんが亡くなった。九十四歳。淡い色づかいにやさしいタッチ。見ていると引き込まれ、穏やかで懐かしい気持ちにさせられる。そういう魔法の筆に恵まれた方だった▼子どものころから絵描きになりたいと思い続け、毎日、絵を描いた。戦争で絵の具が手に入らない時代には看板屋さんからペンキをもらった。食紅も試した。とにかく毎日、描きたかった▼勉強のできない子や徒競走でビリだった子。そういう弱い子をいたわり、声をかけてくれる先生だったそうだ。やさしい魔法の筆の秘密を少しのぞいた気になる▼木組みの家々を描いた安野さんの作品が目にとまった。ヨーロッパの光景だろう。家がまっすぐ立っていない。それぞれの家がお互いを支え合い、少し傾いて立っている。少し傾いているからこそ、中の人間や暮らしを想像したくなる。絵の中に「物語」があった▼黒板の汽車が遠ざかっていく。車内でやさしい絵を描いていらっしゃる。
駆け出しのころ、デスクに原稿を渡すと、このデスク、受け取るなり「悪い顔つきをしている」と言う。「はあ、そうですか」と答えるしかない▼デスクが言うのは身どもの悪相ではなく、原稿の「顔つき」のことらしい。この稼業を長く続けていれば、読まずとも原稿用紙からにじんでくる雰囲気やにおいのようなもので芳しくない内容だと判断できると断言する。事実、悪相の原稿はよく直された▼つまらぬことを思い出させたのは菅首相の施政方針演説である。おそろしいもので長く政治を見ていると報道用の演説原稿案を手にしただけであまり期待できぬ内容と勘が働く。ホラだとおっしゃるか▼手に取った時、やけに厚く感じる。こういう場合はだいたい退屈さに身をよじることになる。「結婚式のスピーチとなんとかは短い方がいい」と昔はよく言ったが、政治演説も同じ。訴えるべきポイントが弱いから、政策を並べ立て、その説明にだらだらと字数を重ねることになる。大方、役人の仕事であろう▼演説を聴けば案の定である。おまけにこの方、熱意や心情を言葉に乗せるのが苦手なようで、こちらは眠気と闘うことになる▼と思いきや最後に目のさめるジョークがあった。政治の師梶山静六さんから国民への説明と理解が大切だと教えられ、信条としていると説明不足のこの人が真顔で言う。えっ、冗談じゃないの?