◇◆◇帰って来た嗜好の隠れ家blog◇◆◇

嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

「ぺん太の事」の事

2013年10月04日 23時46分46秒 | 雑感
 そう言えば、ここ2,3日、twitterのTLで話題の漫画「ぺん太の事」ですけど、
僕も過去の飼っていた犬達との事を思い出して泣いてしまったんですが、

 しかし、そこで唐突に、筆者の妹の事を思い出しました。
と言うのは、筆者の妹があの系の話を凄い苦手だったな。と言うのを思い出したからです。

 理由は、単純に「本当に辛く成るから。」と言う事なのですが、
そこで思ったのが、あの系統の話って、泣ける話では有るけど「感動」とはまた違った感情だよな?
って言う素朴な疑問が湧きました。

 筆者の妹は、あー言う系の、動物の死を媒体にした泣かせる話が大嫌いでは有るけど、
過去の親愛な犬が死んだ事を忘れていたいから。とか、
そう言う事では決して無く、本当に単純に「辛く成るから」らしいです。

実際に妹は、飼って居た犬の命日には、今でも毎年お線香を上げているし、
それからまた飼った犬に対しても、冷たくする事は無かったです。

 筆者が、ふと思い、ここで記事にしようとまで思ったのは、
本当に純粋に飼ってた動物を失った悲しみを背負ってたとしたら、
妹みたいに、そう言う死を媒体にして泣かせるって作品を、
「拒否する」って言う人の方が、実は本気で亡くなった動物の事を悲しんでるんじゃないのかな?
って思ったんです。

 でも、twitterでの反応は、一様に「泣いちゃった」「泣けた」「涙が止まらなかった」的な、
自分の感情の動きの表明と、作品の紹介が殆ど。
妹の反応を見て、こちらの方が健全なのかも?と思った後で、
この大多数の反応を見た時の違和感って、何かに似てるなぁ~…
って思ったのですが、一つ思い当たった事が有ります。

それは、3.11とかによくある「黙祷」呟き。

 「僕は黙祷して弔意を表してますよ~」表明
あれって、人に表明する事でも無いし、一人心で思う事だから。

 今回の、あの作品を見ての「泣けた」呟きと、作品紹介RTって言うのが、
見方によっては、あの「黙祷」ツイートと通じる感覚を感じたのでした。

 妹みたいに、あー言う作品が嫌いな人って居ると思うんだよね。
見たくないって人が、それも或る意味正常だと思って、
そんな中、「泣けた」&「泣けるよ。読んで!」呟きって、
自分はこう言う話に泣く事が出来る動物を好きな感情豊かな人間ですアピールと、
それを薦める事が出来るって言うのは、生き物の死を利用した泣かせる作品を、
完全にそう言う(泣かせて貰える感動作品としての)娯楽として潜在的に認識してるんじゃないかな?
って思ったのです。


 何か凄い「泣けた」呟きとRTした人達を批判してるっぽい文章に成ってますけど、
そう言う意図は全然無いです。
自分も「泣けた」呟きをしたし、リンク先を紹介してた呟きをRTしてましたし…

 きっと、これらの呟きをした人達も、そう言った動物の死を作品として消費したいって意図は
無い(気付いて無い)と思うので、批判では無いです。

 ただ純粋に、妹の反応を見て、見方を変えると、そう言う風にも見えるかも?
と言う、視点の変換が出来るかも知れませんよ。

と言う気付きの事を、文章にしてみました。

どう感じるかは、読者の皆様にお任せ致します。