先週の木曜日に、ロックシンガー西城生馬さんを偲んで、生馬さんが所属して居たロックバンド、Jiæn全曲カラオケに行ってきました。
追悼でカラオケって随分と低俗では?と思われてしまうかも知れませんが、
筆者が生馬さんと知己を得る事に成った切っ掛けが、前回の生馬さんへの想いの記事にも書きましたが、Jiænの楽曲をカラオケ化すると言う運動からだったので、筆者にとって一番の西城生馬さんへの弔いは何かな?と考えた時に、Jiænの歌を全て歌うと言う事を思い付きました。
この日は生馬さんへの想いが強いので、何時もよりも生馬さんの歌詞を大切に歌おうと思い、心を込めて歌いました。
そうしたら、色々と発見も有りました。
まるで生馬さんと会話をして居る様な錯覚も有り、思いが溢れました。
曲順は↓の通り、ほぼアルバム曲順ですが、RONDOだけラス一にしました。
Jiæn
YA-O
GOOD NIGHT JENNY
WIPE OUT
SILK
KISS
TOKYO CHAOS
SOUL LOVE
TRUE
EVERYBODY WAITIN'
KOOL NIGHT SWINGER
SCARLET
DiAmond Dust
I WAS JOHNNY
YOU KNOW
WARNING
CLUB“Katharsis Bar”
WHERE DO YOU GO
Hello Hello
夢の中へと
可南
BODY COMMUNICATION
UNDERGROUND FISH
シーラカンス
EL SOL
WORLD'S END PARTY
路上
SWEET LITTLE CHERRY PIES
GLASS OBJET
RONDO
RODEO DRIVE
生馬さんは生前、Jiænの歌詞は若くて拙いから、今聴くと恥かしいので余り聴きたくないと筆者に仰って居ました。
確かに時代を感じさせるフレーズとかは有ると思います。
でも、このJiænの詩も、紛れも無く西城生馬の言葉だと歌ってて痛感しました。
SILKやYOU KNOWは、本当に最近の生馬さんとブレて無いのが解ります。
傷付いた大切な人を包む優しさに溢れた歌詞。
CLUB“Katharsis Bar”は愛しい地球の綺麗さへの感銘を、戦争よりも地球の美しさだとストレートに表現してて、自然を愛する生馬さんその物。
夢の中へと、や、UNDERGROUND FISH、SWEET LITTLE CHERRY PIES、は、夢はでかく、過去よりも今、今よりも未来を見据える生馬さんらしい歌詞だ。
他にも曲に関して生馬さんと会話した事が色々と思い出された。
筆者はJiænの楽曲ではTRUEが一番好きだった。Aメロは独特のメロディーラインでクセが有ったけど、サビが凄くキャッチーなのだ。
売れ線と言うと語弊が有るが、ドラマ主題歌とかさわやかCMとかで使用されたら絶対にヒット間違い無いと信じて疑わなかった。
そしてサビの歌詞がとても良いのだ。
いつもさわっていたけど、まだふれてないよ。
さわる。と、ふれる。漢字で書くとどちらも「触」
これを敢えてひらがなで書く事により、同じ字でもニュアンスが全然違う日本語表現の奥深さを表した、作詞家西城生馬の真骨頂だと思ったからです。
しかもこの曲は生馬さんには珍しい恋愛ソング。
生馬さんも「考えてみたら珍しいな。俺は愛は一杯歌って来たけど、恋を歌ったのってこの曲くらいじゃない?」と仰っていた。
更にこの曲が好きな理由が、作曲にフッチさんが参加して居る事です。
この曲は、Jiænのメジャーデビューから解散までのオリジナルメンバー3人全員で手掛けた唯一の曲。
と言うのも、大好きな理由です。
その話をしたら、その珍しい作曲風景の様子のお話等も聞かせてくれましたね。
そんな色々な事を思い出しながら、この歌を歌いました。
シーラカンス、アルバムGAINは比較的ダンサブルな楽曲が多く成っているアルバム。
なのでBOOWY的な8ビートな物を求めていたファンには、不評だった印象が有る。
しかし今振り返ると、その後のメンバーの音楽的志向は黒人音楽系の方向へ行く事を思うと、一番今に近いアルバムなのでは?と感じた。
実際に生馬さんはGAINが一番好きだったと仰って居た。
自分も、生馬さんが今は黒っぽい音楽をやってると知り、その音楽に興味が出てからGAINを聴くと、ダンサブル寄りなこのアルバムへの見方が大きく変わったのを覚えて居る。
そしてその中で一番印象が変わったのが、この「シーラカンス」
ダンサブルな曲をアリとして聴くと、このシーラカンスは凄く御洒落。解散の数年後に訪れる渋谷系ブームが有るが、今聴くと渋谷系と言っても良いオシャレ感が有る。
寧ろ時代を先取りし過ぎちゃった様な感じがしました。米村さんは天才だなって思いました。
生馬さんにシーラカンスは渋谷系のオシャレ曲ですよね!と言ったら、喜んで頂けたのも思い出しながら唄いました。
RONDOも凄い好きなのです。そしてライブでは必ず終盤に演奏される切ない曲なので、この曲はは終盤が良いんですよ。ただこの曲は米村さんの作詞作曲の楽曲なので、今回の記事はさらっと過ぎます(汗)
そしてオーラスはRODEO DRIVE!
この曲はJiænが本当に最後に演奏した曲(解散ライブ、アンコールの本当にラスト)と言うのも有りますが、本当に歌詞が良いのです。
「次の街へ向かうぜ 幌馬車並みのボロワゴン俺のフェラーリ」
「二人の旅は続くぜ おまえは俺 俺はおまえ 伝説残し街から街へとヤサグレ二人は行くぜ」
前向きに、解散しても四人それぞれ、次のステージに昇っていくと言うのを感じさせる歌詞。そしてこの歌詞が最後に歌われたと言うのが、とても格好良かった。
そんな事を思いつつ、Jiænの全曲を唄い終わりました。
そしてこの日は、フリータイムで入ったので、Jiæn全曲だと時間が余ってしまうと言う事で、西城生馬さん所縁の曲も一杯唄いましたよ!
KATZE
TEEN
CHEEK TIME
STAY OR GO!
Shocking Part II
LONELY NIGHT
まずは西城生馬さんと兄弟と呼び合う仲の、中村敦さんが所属して居たKATZE!
ギターの尾上賢さんは、92年10月5日渋谷エッグマンのJiæn解散ライブにも駆けつけてくれました。
お二人とも生馬さんとは近年まで対バンする等、浅からぬ間柄のバンドです。
上記曲は、私がリアルタイムリクエストでカラオケ化運動して居た曲と言う事も有り、唄わせて頂きました。
ソウル・フラワー・ユニオン 満月の夕(ゆうべ)
阪神大震災を切っ掛けに作られたと言うこの曲。
曲のテーマ、歌詞が東日本大震災でも歌い継がれるべき曲だと生馬さんが感じ、震災後度々歌われた名曲です。
RCサクセション イマジン
原発事故や、東日本が被災し、西日本は被災しなかった。
その様な状況で、日本国民の中でも対立の構図が生まれようとした中で、世界の色々な対立の中、愛と平和を歌ったこの曲が、今の日本にも通じると生馬さんが歌った歌です。
A.R.B Heavy Days
ARB ボート・ピープル
生馬さんが青春時代から大好きだったARB。
MONOLiTHのドラマーとして参加してくれて居たユッキーさんは高校時代、生馬さんとARBのコピーバンドをされて居たそう。
その当時一番好きだったHeavy Daysを是非MONOLiTHで演奏したいと実現した曲。
ボート・ピープルも生馬さんが好きだった曲でカヴァーしてくれました。JiænのTOKYO CHAOSには、歌詞に曲タイトルが登場する程。
THE BLUE HEARTS 青空《本人映像》
自然と共生するインディアンを西欧人が虐殺する話の歌。この名曲もカヴァーして下さいました。
生馬さんの愛と平和の精神が表われた名曲です。
Die In Cries LOVE SONG
ヴォーカルは横須賀サーベルタイガー(XのHIDEさんが、X加入前に在籍して居た伝説のバンド)~D'ERLANGERで活躍したKYOさん
KYOさんはJiænをとても評価してくれていて、Jiæn解散時には、当時自らがDJをされていたNACK5のラジオ番組で、毎日一曲自分のお薦め曲を掛けて居たみたいですが、Jiæn解散を惜しむ様に、毎晩の様にJiænの曲を掛けて居たそうです。(D'ERLANGER好きでラジオ聴いてて、KYOさんのお薦めでJiænを知ったと言う、Jiænカラオケ化計画運動で力添えしてくれた方の情報です。因みにこの時KYOさんが好きだったJiæn楽曲は、SCARLET・夢の中へと・UNDERGROUND FISH・GLASS OBJET等だそうです。この時、Jiænに嵌って聴こうと思ったら、既に解散した後で、「KYOちゃん何で解散する前に教えてくれなかったんだよぉ~!」と思ったそうです(涙))
この話を生馬さんにしたら、生馬さんは横須賀サーベルタイガー時代のKYOさんには大変お世話に成られたそうで、よく遊びにも連れてって頂いたとか。
ギターは、生馬さん始めJiænのメンバーとも高校時代から交流の有る友人で、横浜時代は対バンで鎬を削ったTHE MAD CAPSULE MARKETSの初代リーダー室姫深(児島実)!
そしてドラムは今や超ビッグバンドに成ったL'Arc~en~CielのYUKIHIROさんと言うスーパーバンドです。
ZI÷KILL LONELY
ZI÷KILLもTHE MAD CAPSULE MARKETS同様、横浜時代にはJiænとは対バンをする仲で、ギターのKENさんはDie In Criesの室姫深さんとの雑誌ギタリスト対談で、「当時横浜時代はお二人の人気が二分する位だったんですよね?」との記者質問に「いやいや、当時はJiænの米村が断トツで人気で、Jiænは凄かった」と言う会話が交わされる程だった。
ベースの飯田成一さんは、自身のBLOGで数年前の時点で、今日のBGMとして「JiænのDiAmond Dustを聴いてる」と発言。それを見たファン(筆者ですが(苦笑))の質問に対し、「もう、ねーーjiaen大好きなのさ!! なんか20年以上前、横浜辺りでお互い 切磋琢磨した戦友って感じ。 みんなギラギラしてていい時代だったな!!」と発言して居る狂い咲きHit On Miss(2011年11月27日)
THE MAD CAPSULE MARKETS あやつり人形
ZI÷KILL同様、横浜時代はJiænと対バンする仲だった。またメンバー間も友人関係として交流が有り、3rdアルバム「SPEAK!!!!」発売時、その発売宣伝の意味も有り雑誌で取材を受けたが、その当時Jiæn解散直後で、MADメンバーも解散ライブに参戦して居て、その取材では自分達のアルバムセールスそっちのけで、アルバムの質問を受けてるのにも関わらず、Jiænの解散を惜しみ悔やむように、Jiænと、その解散ライブの事をメンバー全員で絶賛し続けた程だった。
西城生馬さんが亡くなった時は、初代ギターの室姫深・二代目ギター石垣愛・ドラムの宮上元克が、数十年の時を経ていたがそれぞれ弔意を表し、友情の硬さを表した。
この「あやつり人形」は、Jiænと対バンして居た頃の名曲で、室姫深・石垣愛、両ギタリストでの音源がある。
BLOODY IMITATION SOCIETY A-TEST
Die In Cries解散後の室姫深が、本名の児島実名義で、Jiænのドラム伏原浩と地元の後輩等と組んだバンド。
このA-TESTは反核ソングと言う事で、晩年の西城生馬さんが志向して居た事を唄っているとも居える。
比較的メロディーがしっかりして居るので、聴きやすい楽曲でもある。
SUSIE LOVE ひまわり
室姫深が現在活動して居るバンドの名曲である。
AA= GREED...
THE MAD CAPSULE MARKETSのリーダー上田剛士のソロプロジェクト。ギターはMAD時代からの盟友、児島実。生馬さんとも親友だ。
THE JUNEJULYAUGUST My Funny Car(deepinside version)
元マリスミゼルのヴォーカル、そして再結成した現ZIGZOヴォーカルの高野哲と、Jiænのドラム伏原浩を一番影響を受けたドラマーと言って尊敬して居る、ドラマーの梶原幸嗣とピアノ佐藤銃による先鋭的ベースレス3ピースバンド。
ドラマーの梶原幸嗣さんはJiænが大好きで、現在はジュンジュラと平行して、同じくJiænを尊敬してBLOODY IMITATION SOCIETYで伏原浩と活動して居たヴォーカリスト窪洋介とHUMAN TAILでも活動して居る。名曲です。
TRACY ANGEL
BOOWYフォロワーとして、東のJiæn、西のTRACYとしてライバル視されて居た。TRACYのボーカルは鎌坂誠、西城生馬との両ボーカリストは、氷室京介に匹敵する同系統の格好良さを放って居た。
KENZI & THE TRIPS SWEET DREAMS,BABY!
永遠のパンク小僧、KENZIのバンド。メンバーは後にTHE PILLOWSと成る初代ベース&リーダーの上田ケンジ。ドラムの佐藤シンイチロウ。バッドメサイヤのベース、ジュングレイ等が居た。このSWEET DREAMS,BABY!が収録されて居るアルバムSWEET DREAMS,BABY!でギターを弾いて居るのが、Jiænの米村浩征である。
Home Grown 星にお願い
日本を代表するレゲエバンド。ドラムは西城生馬さん晩年にMONOLiTHメンバーとして支えたユッキーさん。
そのユッキーさんのバンドの名曲です。
毛皮のマリーズ ボニーとクライドは今夜も夢中
生馬さんへの想いblog記事で書いた。音楽ソムリエ西城生馬が、筆者にお薦めしてくれたバンドです。
こんな素敵なバンドを教えてくれてありがとう
追悼でカラオケって随分と低俗では?と思われてしまうかも知れませんが、
筆者が生馬さんと知己を得る事に成った切っ掛けが、前回の生馬さんへの想いの記事にも書きましたが、Jiænの楽曲をカラオケ化すると言う運動からだったので、筆者にとって一番の西城生馬さんへの弔いは何かな?と考えた時に、Jiænの歌を全て歌うと言う事を思い付きました。
この日は生馬さんへの想いが強いので、何時もよりも生馬さんの歌詞を大切に歌おうと思い、心を込めて歌いました。
そうしたら、色々と発見も有りました。
まるで生馬さんと会話をして居る様な錯覚も有り、思いが溢れました。
曲順は↓の通り、ほぼアルバム曲順ですが、RONDOだけラス一にしました。
Jiæn
YA-O
GOOD NIGHT JENNY
WIPE OUT
SILK
KISS
TOKYO CHAOS
SOUL LOVE
TRUE
EVERYBODY WAITIN'
KOOL NIGHT SWINGER
SCARLET
DiAmond Dust
I WAS JOHNNY
YOU KNOW
WARNING
CLUB“Katharsis Bar”
WHERE DO YOU GO
Hello Hello
夢の中へと
可南
BODY COMMUNICATION
UNDERGROUND FISH
シーラカンス
EL SOL
WORLD'S END PARTY
路上
SWEET LITTLE CHERRY PIES
GLASS OBJET
RONDO
RODEO DRIVE
生馬さんは生前、Jiænの歌詞は若くて拙いから、今聴くと恥かしいので余り聴きたくないと筆者に仰って居ました。
確かに時代を感じさせるフレーズとかは有ると思います。
でも、このJiænの詩も、紛れも無く西城生馬の言葉だと歌ってて痛感しました。
SILKやYOU KNOWは、本当に最近の生馬さんとブレて無いのが解ります。
傷付いた大切な人を包む優しさに溢れた歌詞。
CLUB“Katharsis Bar”は愛しい地球の綺麗さへの感銘を、戦争よりも地球の美しさだとストレートに表現してて、自然を愛する生馬さんその物。
夢の中へと、や、UNDERGROUND FISH、SWEET LITTLE CHERRY PIES、は、夢はでかく、過去よりも今、今よりも未来を見据える生馬さんらしい歌詞だ。
他にも曲に関して生馬さんと会話した事が色々と思い出された。
筆者はJiænの楽曲ではTRUEが一番好きだった。Aメロは独特のメロディーラインでクセが有ったけど、サビが凄くキャッチーなのだ。
売れ線と言うと語弊が有るが、ドラマ主題歌とかさわやかCMとかで使用されたら絶対にヒット間違い無いと信じて疑わなかった。
そしてサビの歌詞がとても良いのだ。
いつもさわっていたけど、まだふれてないよ。
さわる。と、ふれる。漢字で書くとどちらも「触」
これを敢えてひらがなで書く事により、同じ字でもニュアンスが全然違う日本語表現の奥深さを表した、作詞家西城生馬の真骨頂だと思ったからです。
しかもこの曲は生馬さんには珍しい恋愛ソング。
生馬さんも「考えてみたら珍しいな。俺は愛は一杯歌って来たけど、恋を歌ったのってこの曲くらいじゃない?」と仰っていた。
更にこの曲が好きな理由が、作曲にフッチさんが参加して居る事です。
この曲は、Jiænのメジャーデビューから解散までのオリジナルメンバー3人全員で手掛けた唯一の曲。
と言うのも、大好きな理由です。
その話をしたら、その珍しい作曲風景の様子のお話等も聞かせてくれましたね。
そんな色々な事を思い出しながら、この歌を歌いました。
シーラカンス、アルバムGAINは比較的ダンサブルな楽曲が多く成っているアルバム。
なのでBOOWY的な8ビートな物を求めていたファンには、不評だった印象が有る。
しかし今振り返ると、その後のメンバーの音楽的志向は黒人音楽系の方向へ行く事を思うと、一番今に近いアルバムなのでは?と感じた。
実際に生馬さんはGAINが一番好きだったと仰って居た。
自分も、生馬さんが今は黒っぽい音楽をやってると知り、その音楽に興味が出てからGAINを聴くと、ダンサブル寄りなこのアルバムへの見方が大きく変わったのを覚えて居る。
そしてその中で一番印象が変わったのが、この「シーラカンス」
ダンサブルな曲をアリとして聴くと、このシーラカンスは凄く御洒落。解散の数年後に訪れる渋谷系ブームが有るが、今聴くと渋谷系と言っても良いオシャレ感が有る。
寧ろ時代を先取りし過ぎちゃった様な感じがしました。米村さんは天才だなって思いました。
生馬さんにシーラカンスは渋谷系のオシャレ曲ですよね!と言ったら、喜んで頂けたのも思い出しながら唄いました。
RONDOも凄い好きなのです。そしてライブでは必ず終盤に演奏される切ない曲なので、この曲はは終盤が良いんですよ。ただこの曲は米村さんの作詞作曲の楽曲なので、今回の記事はさらっと過ぎます(汗)
そしてオーラスはRODEO DRIVE!
この曲はJiænが本当に最後に演奏した曲(解散ライブ、アンコールの本当にラスト)と言うのも有りますが、本当に歌詞が良いのです。
「次の街へ向かうぜ 幌馬車並みのボロワゴン俺のフェラーリ」
「二人の旅は続くぜ おまえは俺 俺はおまえ 伝説残し街から街へとヤサグレ二人は行くぜ」
前向きに、解散しても四人それぞれ、次のステージに昇っていくと言うのを感じさせる歌詞。そしてこの歌詞が最後に歌われたと言うのが、とても格好良かった。
そんな事を思いつつ、Jiænの全曲を唄い終わりました。
そしてこの日は、フリータイムで入ったので、Jiæn全曲だと時間が余ってしまうと言う事で、西城生馬さん所縁の曲も一杯唄いましたよ!
KATZE
TEEN
CHEEK TIME
STAY OR GO!
Shocking Part II
LONELY NIGHT
まずは西城生馬さんと兄弟と呼び合う仲の、中村敦さんが所属して居たKATZE!
ギターの尾上賢さんは、92年10月5日渋谷エッグマンのJiæn解散ライブにも駆けつけてくれました。
お二人とも生馬さんとは近年まで対バンする等、浅からぬ間柄のバンドです。
上記曲は、私がリアルタイムリクエストでカラオケ化運動して居た曲と言う事も有り、唄わせて頂きました。
ソウル・フラワー・ユニオン 満月の夕(ゆうべ)
阪神大震災を切っ掛けに作られたと言うこの曲。
曲のテーマ、歌詞が東日本大震災でも歌い継がれるべき曲だと生馬さんが感じ、震災後度々歌われた名曲です。
RCサクセション イマジン
原発事故や、東日本が被災し、西日本は被災しなかった。
その様な状況で、日本国民の中でも対立の構図が生まれようとした中で、世界の色々な対立の中、愛と平和を歌ったこの曲が、今の日本にも通じると生馬さんが歌った歌です。
A.R.B Heavy Days
ARB ボート・ピープル
生馬さんが青春時代から大好きだったARB。
MONOLiTHのドラマーとして参加してくれて居たユッキーさんは高校時代、生馬さんとARBのコピーバンドをされて居たそう。
その当時一番好きだったHeavy Daysを是非MONOLiTHで演奏したいと実現した曲。
ボート・ピープルも生馬さんが好きだった曲でカヴァーしてくれました。JiænのTOKYO CHAOSには、歌詞に曲タイトルが登場する程。
THE BLUE HEARTS 青空《本人映像》
自然と共生するインディアンを西欧人が虐殺する話の歌。この名曲もカヴァーして下さいました。
生馬さんの愛と平和の精神が表われた名曲です。
Die In Cries LOVE SONG
ヴォーカルは横須賀サーベルタイガー(XのHIDEさんが、X加入前に在籍して居た伝説のバンド)~D'ERLANGERで活躍したKYOさん
KYOさんはJiænをとても評価してくれていて、Jiæn解散時には、当時自らがDJをされていたNACK5のラジオ番組で、毎日一曲自分のお薦め曲を掛けて居たみたいですが、Jiæn解散を惜しむ様に、毎晩の様にJiænの曲を掛けて居たそうです。(D'ERLANGER好きでラジオ聴いてて、KYOさんのお薦めでJiænを知ったと言う、Jiænカラオケ化計画運動で力添えしてくれた方の情報です。因みにこの時KYOさんが好きだったJiæn楽曲は、SCARLET・夢の中へと・UNDERGROUND FISH・GLASS OBJET等だそうです。この時、Jiænに嵌って聴こうと思ったら、既に解散した後で、「KYOちゃん何で解散する前に教えてくれなかったんだよぉ~!」と思ったそうです(涙))
この話を生馬さんにしたら、生馬さんは横須賀サーベルタイガー時代のKYOさんには大変お世話に成られたそうで、よく遊びにも連れてって頂いたとか。
ギターは、生馬さん始めJiænのメンバーとも高校時代から交流の有る友人で、横浜時代は対バンで鎬を削ったTHE MAD CAPSULE MARKETSの初代リーダー室姫深(児島実)!
そしてドラムは今や超ビッグバンドに成ったL'Arc~en~CielのYUKIHIROさんと言うスーパーバンドです。
ZI÷KILL LONELY
ZI÷KILLもTHE MAD CAPSULE MARKETS同様、横浜時代にはJiænとは対バンをする仲で、ギターのKENさんはDie In Criesの室姫深さんとの雑誌ギタリスト対談で、「当時横浜時代はお二人の人気が二分する位だったんですよね?」との記者質問に「いやいや、当時はJiænの米村が断トツで人気で、Jiænは凄かった」と言う会話が交わされる程だった。
ベースの飯田成一さんは、自身のBLOGで数年前の時点で、今日のBGMとして「JiænのDiAmond Dustを聴いてる」と発言。それを見たファン(筆者ですが(苦笑))の質問に対し、「もう、ねーーjiaen大好きなのさ!! なんか20年以上前、横浜辺りでお互い 切磋琢磨した戦友って感じ。 みんなギラギラしてていい時代だったな!!」と発言して居る狂い咲きHit On Miss(2011年11月27日)
THE MAD CAPSULE MARKETS あやつり人形
ZI÷KILL同様、横浜時代はJiænと対バンする仲だった。またメンバー間も友人関係として交流が有り、3rdアルバム「SPEAK!!!!」発売時、その発売宣伝の意味も有り雑誌で取材を受けたが、その当時Jiæn解散直後で、MADメンバーも解散ライブに参戦して居て、その取材では自分達のアルバムセールスそっちのけで、アルバムの質問を受けてるのにも関わらず、Jiænの解散を惜しみ悔やむように、Jiænと、その解散ライブの事をメンバー全員で絶賛し続けた程だった。
西城生馬さんが亡くなった時は、初代ギターの室姫深・二代目ギター石垣愛・ドラムの宮上元克が、数十年の時を経ていたがそれぞれ弔意を表し、友情の硬さを表した。
この「あやつり人形」は、Jiænと対バンして居た頃の名曲で、室姫深・石垣愛、両ギタリストでの音源がある。
BLOODY IMITATION SOCIETY A-TEST
Die In Cries解散後の室姫深が、本名の児島実名義で、Jiænのドラム伏原浩と地元の後輩等と組んだバンド。
このA-TESTは反核ソングと言う事で、晩年の西城生馬さんが志向して居た事を唄っているとも居える。
比較的メロディーがしっかりして居るので、聴きやすい楽曲でもある。
SUSIE LOVE ひまわり
室姫深が現在活動して居るバンドの名曲である。
AA= GREED...
THE MAD CAPSULE MARKETSのリーダー上田剛士のソロプロジェクト。ギターはMAD時代からの盟友、児島実。生馬さんとも親友だ。
THE JUNEJULYAUGUST My Funny Car(deepinside version)
元マリスミゼルのヴォーカル、そして再結成した現ZIGZOヴォーカルの高野哲と、Jiænのドラム伏原浩を一番影響を受けたドラマーと言って尊敬して居る、ドラマーの梶原幸嗣とピアノ佐藤銃による先鋭的ベースレス3ピースバンド。
ドラマーの梶原幸嗣さんはJiænが大好きで、現在はジュンジュラと平行して、同じくJiænを尊敬してBLOODY IMITATION SOCIETYで伏原浩と活動して居たヴォーカリスト窪洋介とHUMAN TAILでも活動して居る。名曲です。
TRACY ANGEL
BOOWYフォロワーとして、東のJiæn、西のTRACYとしてライバル視されて居た。TRACYのボーカルは鎌坂誠、西城生馬との両ボーカリストは、氷室京介に匹敵する同系統の格好良さを放って居た。
KENZI & THE TRIPS SWEET DREAMS,BABY!
永遠のパンク小僧、KENZIのバンド。メンバーは後にTHE PILLOWSと成る初代ベース&リーダーの上田ケンジ。ドラムの佐藤シンイチロウ。バッドメサイヤのベース、ジュングレイ等が居た。このSWEET DREAMS,BABY!が収録されて居るアルバムSWEET DREAMS,BABY!でギターを弾いて居るのが、Jiænの米村浩征である。
Home Grown 星にお願い
日本を代表するレゲエバンド。ドラムは西城生馬さん晩年にMONOLiTHメンバーとして支えたユッキーさん。
そのユッキーさんのバンドの名曲です。
毛皮のマリーズ ボニーとクライドは今夜も夢中
生馬さんへの想いblog記事で書いた。音楽ソムリエ西城生馬が、筆者にお薦めしてくれたバンドです。
こんな素敵なバンドを教えてくれてありがとう