◇◆◇帰って来た嗜好の隠れ家blog◇◆◇

嗜好な事や色々の思った事を再び書き連ねます。

近親者のみの密葬→後日お別れの会 にモヤモヤしてます

2014年08月06日 17時31分44秒 | 雑感
唐突にお葬式の話題でどうしたの?と言う声も聞えますが(苦笑)
別に特定の人達を指している訳では無く、前々から感じてた事で、ふと書く機会も特に無いので、思い立ったから書いてみた。
と言う事で、深い意味は無いのですが、筆者は以前から、最近多く成っている
「葬儀は近親者のみで行います。友人には、後日お別れの会を開催します。」

って形が凄い流行って来てますけど、筆者はこれに凄いモヤモヤする感覚が有ります。

これって、亡くなった人を弔いたいって思ってくれている人達の気持ちを全く考えて居ない気がしちゃうんですよね。

心から弔いたい人って、やはり葬儀に参列して、焼香し、荼毘にふされる前の遺体に対面して別れをしたいと思うんです。

そう言う、弔える機会を奪われた友人や知人で、その事で意気消沈した人って、凄く多いのでは?と思うのです。
筆者も、もし親友の家族が「葬儀は家族だけでやりましたので、お別れの会に来てくれれば結構です」みたいに言われたら、凄いショックです。

多分、この風潮って、確かに遺族の精神的負担も凄く大きいですが、単純に経済的な事が大きい様な気がするんです。

筆者も祖父の通夜から葬儀、荼毘にふすまでの一連の流れをして、家族みんな負担は大変でした。
だから家族の負担軽減の為、と言うのは凄く解るんです。

残った人(家族)の事だけの都合を思えば、密葬は楽です。素晴らしいシステムだと思います。
本人達は満足出来るでしょう。

でも、残された人って家族だけでは無いのですよ。

亡くなった方には、家族と同じ位、その人を大切に思ってた人達も一杯居ると思うのです。
そんな人達から弔える機会を奪う事に成ると思うのです。

普段、よくあるお通夜に参列するとかの機会って、町内会の人とか、
大して付き合いの無い親戚とかの物で、お義理で参列するって事の方が断然多く、
本当に心からお世話に思った人の葬儀に出る事って、最近の一般の人の感覚だと滅多に無いのかも知れない。
だから、葬儀=無駄に香典(お金)が飛んで行く面倒臭い物って言う感覚しか感じないのかも知れない。

でも、本当の親友や、恩人が亡くなった時は、そう言う感覚は無いと思うんですよね。
もし親友や恩人の時にすら無駄な出費だなと思っちゃう人が居るとしたら、それはその人は人間的にどうなの?って筆者は考えてしまう。

あと、良く密葬をする時に、「周りの人に煩わせたくないと言う亡くなった故人の生前の遺言で」と言いますが、果たして亡くなる前の人は、密葬の遺言をする時に、自分の為に経済的な余計な負担はさせたくない。としか単純に考えず、友人が自分を弔えない悲しみを強いる事まで思い至って居ないのではないかな?
もし事前に、弔えなく成る友人や恩を受けた人の存在、と言うのを聞いて居たら、その人は簡単に「ちゃっちゃと密葬で良いよ」とは言わない気がするのです。

よく、最近は葬儀に金を掛けない風潮に成って来たので、これからの葬儀ビジネスは斜陽産業だ。
等と言われますが、葬儀(人の死)って、そんなに簡単に、安く、簡単に、で済ませられる問題じゃ無い気がします。
また、安く簡単に、済ましても何とも思わない家族って、それこそ故人を心の底から弔って居るのかな?って感じてしまうんですよね。

確かに、亡くなって直ぐにお通夜、告別式って流れにしなければいけないのは、
普通の人は経験が無いので、それに、葬儀は確かに大変。
普通の人は、核家族に成ってしまったので、大体葬儀って一生に2回(両親)しかしない気がします。
なので経験が無い中で、亡くなったその日(または数日後)から通夜、告別式の流れで、
来客に対応するって確かに大変だと思います。
でも、それと同じ、いや、それ以上に、故人の凄さと言うか、個人の人との繋がりを感じる事が出来るのも葬儀だと思います。

筆者の祖父の葬儀の時、千人規模で来て頂きました。
人数の規模に関しては、祖父の人徳で特殊な例だとは思いますが、
他に、急な事なのに、取るものも取り敢えずと言う感じで、日本全国から飛んで来て頂けた方とかも居て、
お義理で参列の方も多かったと思いますが、本当に心から悲しんで参列して頂いたんだなと判る方も多く、
そう言うのを見ると、故人がどれだけ現世で愛されてたか?と言うのが判りますし、
どんな人であれ、そう言う故人への想いを感じれる参列者と言うのを遺族は見れると思うのです。
それで故人の家族も知らない側面とかを感じれると思うのです。絶対に。

筆者も、そう言うのを見て、祖父の孫だった事を誇りに思いましたし、
祖父に怒られない様な人間に成らなくては!と強く思ったのを思い出します。

そして後日行われる「お別れの会」にもモヤモヤするのです。

お別れの会って、儀式では無いですよね?
はっきり言うと、それはもうイベントだと思います。
歌手の秋川さんが「お墓の前で泣かないで下さい。そこに私は居ません」
と歌いましたが、まさにこのお別れの会には、貴方(故人)は居ません。

要は、遺族が香典(お金)だけ稼ぐ為に催すイベントに思えてしまうんです。
それに、お別れの会だと、遠方で来るのも大変だけど、生前お世話に成ったので取るものも取敢えず、的に駆けつけてくれる人は来ない印象が有ります。

少なくとも筆者は、弔う機会を奪われて都合よく香典だけ欲しいです的なイベントには、行かない気がします。

それこそ、心の中で弔えば良いと言う感覚に成る気がします。


そんな感じで、脈絡も無く、密葬からお別れの会にモヤモヤした物を感じてたので、その事について取りとめも無く文章を書いてみました。

勿論、これは筆者の個人的な感覚、感性です。
そう言う流れでやってる人に対する偏見も有ると思います。
なので、そう言う遺族を批判する気は無くて、要は、この記事で一番言いたいのは、
大切な人の弔う機会を奪わないで欲しい。故人は家族だけの物では無いので、そう言う人達への配慮も本人、遺族はしてくれたらと思う。
と言う事です。

なので、この考えに賛同して欲しいとか、解って欲しいと言う考えは有りません。

異論は認めます。
しかし個人的感覚ですので、抗議されても困りますので、反論は受け付けて居ません。
そう言う考えの人も居るんだ的に思ってくれれば、と思います。

そして、同じくモヤモヤを感じてた人が居て、我が意を得たり!的に思ってくれた方が居たとしたら、
また、簡素に安価に、密葬で済まそうと思ってたけど、この文章を読んで自然と考えを改めた。って方が居たら幸いです。