お盆休みに 入る前日に
同年輩の ご近所の方が
こんなものが出てきたの と 持参されました
これって 懐かしいでしょ!!
昭和レトロ ねんねこ半纏です
今時 見る事もなくなりましたが
冬の子育ての時 おんぶをした上から
保温の為に 羽織っていたものなんです
私も 3人の子育ての時
実家の親が 呉服屋さんに 頼んで
1枚は よそ行き用にと 大島紬で
普段には 柄物着物地で 縫ったのと
2枚を 作ってもらい
子育てには 冬の 必需品でした
親に 作ってもらったものだから
何か作り直して欲しいとの事で
ウールの生地で 縫ってある半纏から
作務衣を リホームする事になり
ワンピースの頼まれ物が 出来上がり
暇になったので
早速 翌日から 解き始めました
まずは 黒のビロードの重ね襟を解くと
身頃の部分が 色あせして 随分 違っています
赤い木綿の裏地が付いて 中は 綿入れ
今時は キルト芯を 使うのですが
真綿が こんなに 使ってありました
裏側は 色あせもなく
解いて 洗って アイロンがけ
今の時期 直ぐに 乾きます
土、日 と 二日間で 裏側を 表に使って
半纏の裁断通りに 身頃は そのまま身頃の寸法に切って
袖も 袖の生地から 幅を狭めて
手首は ゴム入り
背中が 丸くなっている方なので
丈は 前は短く 後ろを長く
襟も 細くして 接着芯を貼り ぐるりを縫いつけ
紐を付けて 出来上がり
残り生地で リュックサックも 頼まれています
お店は 閉まっていますが
何処へも行く予定がないので
ぼちぼちと 縫います
又 縫い上がったら アップしますね!!
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真綿を薄く敷いていれたねんねこ。
単衣のと真冬ように、母が作ってくれました。
綿だと重くて肩が凝るのですが、これだと温かくて軽かったです。
今も、棄てきれず箪笥にあります。
わたくしが生きている以上は・・・
参観日や出かける時には、下の衣類を隠してくれるので、重宝しました。
真綿は、今は高額で貴重品ですね。
こんにちわ!
懐かしいですね・・・
ねんねこ半纏
半襟の中に、ま綿を入れていたのですね
ま綿だったら、首に当たっても痛くないし、
芯の代わりにもなる・・・
よく考えられていたのですね・・・
改めて、古の人たちの知恵を感じました
母が、綿入り半纏を縫ってくれていたのを、思い出しました。
表布と裏布の間に綿が入って、半襟にも入れていた事を、始めて知りました。
てまひまかけて、縫ってくれていたことを、
感謝するきっかけを教えて頂きました。
ありがとうございます
私が小学生の頃、母が布団の打ち換えをする時、布団綿の上に、うすーく敷いていました。高価なものだったので、綿あめのように薄かった記憶があります。
ねんねこって、私も40年前に使用してましたよ。でも、多分新婚の貧乏夫婦でしたから、そこらへんの安物だったと思います。
娘をおんぶして市場に行ってました。娘のぬくもりとねんねこの暖かさ・・・当時は生活は大変でしたけど、振り返ってみれば、一番元気な時代だったかもしれません。懐かしいなあ・・・
思い出があると なかなか捨てられないですよね。
半纏って 重ねて着るので 暖かいし 下に着た物を 隠してくれる 役目もしてくれましたね。
取り出した真綿は もうぐちゃぐちゃで 使えないようだし 今は キルト芯で 応用できるので 即処分してしまったけど・・・・。
品物も 言葉も 懐かしいですね。
私も 解いてみて 分かりました。襟にまで 真綿が入っているんなんて 知りませんでした。
綿が木綿ですが 真綿は絹ですものね、薄くっても 綿より暖かかったんでしょうね。
古い人の知恵って 素晴らしいですね。
お盆です お母様を 思い出して 精一杯 感謝してくださいませ・・・
私も 嬉しいですヽ(*´∀`)ノ
ほんと 今時 真綿って 店頭では見ることが無いでしょうし 言葉も知らない人が多くなるでしょうね。
布団の打ち換えなんて 私自身もした事がないですが 布団綿に 綿あめのような真綿をまくって それだけでも 絹だから暖かかったんでしょうね。
ホント 4~50年前の 冬も子育てに ねんねこ って 必需品でしたよね。
親も子も暖かい 物が 溢れてない時代 それどれに ねんねこの思い出って あるんですよね。
若かりし 元気だった頃を 思い出せせるねんねこで 仕事をさせてもらえるって 有難いですわヽ(*´∀`)ノ