さて、外観のテーマは数奇屋「風」に決まりました。
敷地が狭い都市部では、家のアウトラインは、土地の形状から制限されますが、
郊外で敷地が広いと、家の形の自由度が広がり、設計のセンスが問われます。
あの私が作った ぼろいダンボールの模型から、更に1年余りを経て、
最終案は、住友林業側が正式な模型を用意して、私達はGOサインをだしました。
南正面に対して、南北奥行き1 対 東西横幅2 の比率、安定感があり、この前後で納めました。
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夕方は、シンプルなシルエットが浮かび上がります。
2階建ては壁材が目立ち、平屋は、屋根の形・素材が目立つものです。
形は「切妻」「寄棟」ではなく「入母屋」を選択。入母屋は見る角度によって、ラインが変化します。
折れ曲がって見え
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アール(曲線)を辿って、直線へ
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見る場所によって、ラインが屈曲、曲線、直線と変化するのが面白い、と夫は言います。
屋根瓦について、
屋根は様々な素材があり、一長一短あります。
私達が拘ったのは、角(山、尾根)の部分が、すっきりしていること。
奈良の瓦道(ガドウ)と銅板葺きを 最終候補で検討し、
瓦の窯元と施工代理店に案内されて、ガドウのお宅を拝見しに、京都と芦屋を訪ね、
周辺の美邸も参考になりました。
瓦道の屋根
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この瓦は、桧皮葺・柿葺きをイメージして作られ、小判であり、角にノシ瓦がいらず、すっきりとしているのが特徴です。
谷は、当初太く通って、締りのなさを感じて、細くなる様、やり直しを指示し、
角も、仕上がりが当初の説明と異なる、と修正を求めました。
施工例が少なく、住林の施工担当も、ミスを見抜けませんで、私が指摘しました・・・
銅板葺きは、住友林業の駒沢公園展示場を、参考に見ましたが、
まず、緑青になるまで、「成金」みたいで、また、昨今の酸性雨で緑青にならず、酸化腐食のリスクもあり、ボツにしました。
軒の深さについて
敷地の制限から、軒をとらない「箱型」の家も、最近は多いですが、
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軒の深さは、手前は半間、玄関は1間半、奥の和室窓前は1間です。
和のバランスでは1間が落ち着き、住友林業の二人目の設計担当は強く勧めました。
現代の家は、吹き抜けがあったり、明るいもので、これと相反します。
半間と1間の差は、
半間の庇のリビングは、8月から日光が床に差し込んで来て、暑く感じます。
一間の庇の和室は、9月の彼岸時分から、差し込み始め、夏はとかく涼しいです。
雨樋について
我が家は、瓦の薄さを際立たせるため、雨どいをつけませんでした。
軒天は米松の無垢を採用しました・・・・・
そして、またもや問題発見!
雨樋が無いため、広小舞という部分が地上から丸見えになりますが、
「化粧」広小舞であるべきを、節だらけの杉無垢材(安価)が使用されました。
瓦も軒天の米松も、素直で上品な美しさを醸し出しているのに、
節の点々が、「豹柄」のように下品で、不釣合いでした。
住友林業も真っ青になり、様々な善後策を考え、銅板でキャップして隠しました。
今は、見上げても、「自然」に納まっています。
瓦のやり直しの件も、化粧広小舞の件も、私、第一発見者です。
いずれも、機能としては問題ないのですが、美しくない。
見たとき「違和感」を覚え、建築の分厚い本や、ネットを調べ上げ、
瓦の窯元に相談したり、やっぱりおかしいのだ、と確信してからクレームしました。
私、当時腰痛持ちで、趣味のバレエもあきらめ、完全専業主婦で、時間がたっぷりありました。
だから、家作りに集中できたのだ、と今にして思います。
家の普請に腐心する、
ということですね。
敷地が狭い都市部では、家のアウトラインは、土地の形状から制限されますが、
郊外で敷地が広いと、家の形の自由度が広がり、設計のセンスが問われます。
あの私が作った ぼろいダンボールの模型から、更に1年余りを経て、
最終案は、住友林業側が正式な模型を用意して、私達はGOサインをだしました。
南正面に対して、南北奥行き1 対 東西横幅2 の比率、安定感があり、この前後で納めました。
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夕方は、シンプルなシルエットが浮かび上がります。
2階建ては壁材が目立ち、平屋は、屋根の形・素材が目立つものです。
形は「切妻」「寄棟」ではなく「入母屋」を選択。入母屋は見る角度によって、ラインが変化します。
折れ曲がって見え
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アール(曲線)を辿って、直線へ
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見る場所によって、ラインが屈曲、曲線、直線と変化するのが面白い、と夫は言います。
屋根瓦について、
屋根は様々な素材があり、一長一短あります。
私達が拘ったのは、角(山、尾根)の部分が、すっきりしていること。
奈良の瓦道(ガドウ)と銅板葺きを 最終候補で検討し、
瓦の窯元と施工代理店に案内されて、ガドウのお宅を拝見しに、京都と芦屋を訪ね、
周辺の美邸も参考になりました。
瓦道の屋根
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この瓦は、桧皮葺・柿葺きをイメージして作られ、小判であり、角にノシ瓦がいらず、すっきりとしているのが特徴です。
谷は、当初太く通って、締りのなさを感じて、細くなる様、やり直しを指示し、
角も、仕上がりが当初の説明と異なる、と修正を求めました。
施工例が少なく、住林の施工担当も、ミスを見抜けませんで、私が指摘しました・・・
銅板葺きは、住友林業の駒沢公園展示場を、参考に見ましたが、
まず、緑青になるまで、「成金」みたいで、また、昨今の酸性雨で緑青にならず、酸化腐食のリスクもあり、ボツにしました。
軒の深さについて
敷地の制限から、軒をとらない「箱型」の家も、最近は多いですが、
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軒の深さは、手前は半間、玄関は1間半、奥の和室窓前は1間です。
和のバランスでは1間が落ち着き、住友林業の二人目の設計担当は強く勧めました。
現代の家は、吹き抜けがあったり、明るいもので、これと相反します。
半間と1間の差は、
半間の庇のリビングは、8月から日光が床に差し込んで来て、暑く感じます。
一間の庇の和室は、9月の彼岸時分から、差し込み始め、夏はとかく涼しいです。
雨樋について
我が家は、瓦の薄さを際立たせるため、雨どいをつけませんでした。
軒天は米松の無垢を採用しました・・・・・
そして、またもや問題発見!
雨樋が無いため、広小舞という部分が地上から丸見えになりますが、
「化粧」広小舞であるべきを、節だらけの杉無垢材(安価)が使用されました。
瓦も軒天の米松も、素直で上品な美しさを醸し出しているのに、
節の点々が、「豹柄」のように下品で、不釣合いでした。
住友林業も真っ青になり、様々な善後策を考え、銅板でキャップして隠しました。
今は、見上げても、「自然」に納まっています。
瓦のやり直しの件も、化粧広小舞の件も、私、第一発見者です。
いずれも、機能としては問題ないのですが、美しくない。
見たとき「違和感」を覚え、建築の分厚い本や、ネットを調べ上げ、
瓦の窯元に相談したり、やっぱりおかしいのだ、と確信してからクレームしました。
私、当時腰痛持ちで、趣味のバレエもあきらめ、完全専業主婦で、時間がたっぷりありました。
だから、家作りに集中できたのだ、と今にして思います。
家の普請に腐心する、
ということですね。