娘にとってピアノは「言葉」みたいなものらしい。とにかく恥ずかしがり屋で、慣れるまでに時間がかかりなかなか言葉を使ったコミュニケーションができなかった娘。4歳になる年、まる1年、保育園でひと言も話さなかった。「あいさつもできないのか」と言われたり、「(あいさつもできないのは)お母さんが働いているからだ」と言われたり。娘にとっては、「言葉」に代わって思いを外に向ける手段が必要だと考えた私、彼女にピアノを習わせた。
働く母は、いろいろな「悪気のない」言葉を浴びた。
その度に、私はちょいと傷つき、「ま、仕方ないか」と開き直った。ただ、子どもの一生を考えたら母親としての私が傷つく言葉などはとても些細な出来事の連続だから、彼女にとって堂々と生きるための「シールド」(前に書いた村上 龍著「盾(シールド)」より)があれば大丈夫なのだ、と思った。
彼女にとってそれは、ピアノ。
3歳になる年、彼女はピアノが習いたいと言った。でも、仕事をしていた私には指定された「平日の昼間」という時間に、彼女をレッスンに連れて行くことができなかった。ちょっと、自分を責めた。でも、仕方ないやねー。
明るく考えて翌年、ようやく土曜日のクラスが設定され、娘に音楽という「言葉」をもつきっかけを作ることができた。1年待って、ようやく音楽を習い始める。それなのにその1年、娘は全く歌わず、奏でなかった。先生に質問されても、答えない。いつまで先生が付き合ってくれるのだろうと、付き添う親として、私はハラハラした。
翌年、「あの教室はピアノを弾かない。ピアノが弾きたい」と娘。4歳になる年に、ピアノ教室へ。「ピアノ」という楽器の音が大好だった娘は、エレクトーンを弾くグループレッスンの音楽教室と、個人のピアノレッスンに通い始める。どちらも練習をしなければついていけない。5歳から7歳にかけて、それは大変な日々が続いた。
私が手伝うわけにもいかない。
何より私は仕事が忙しく、娘の練習を毎日見てあげるわけにも行かなかった。娘は、サボった分、思うように動かない自分の手をたたき、泣きながら練習した。練習を始めると2時間でも3時間でも弾く。辛いので、「辞めたい」と娘は何度も言った。でも、絶対に辞めさせなかった。これは彼女にとっての「言葉」なのだ、と私は信じていたので。
そうして、8年。よく続けた。
今ではピアノが彼女の「言葉」になっている。
時は、生誕250周年のモーツアルトブーム。娘、モーツアルトのピアノ・ソナタ 第15番 第一楽章 がどうしても弾きたかったらしい。で、楽譜もないのに、キーボードが自動演奏する「音」と、とりあえず表示される楽譜を見ながら練習。何だか、弾けてる・・・。なかなかいいじゃんー。
母親が仕事をしてようがしてまいが、子どもは育つ。
父も母も、子も、みな人生をしっかり生きよう。家族のありようは様々でいいじゃないか。ピアノ・ソナタを聴きながら、娘の言葉を思い出した。彼女と初めて保育園に行った朝「ママ、さくらがきれいだね」と言った娘。私は、ずーっと仕事をしてきたし、いまじゃ娘と二人暮らし。それでも彼女はあの頃と変わらず、素直で優しい心の持ち主だ。それがあなたの弾くピアノ・ソナタにあらわれているよ。
今日の娘、早起きしてフジコ・ヘミングが出演する「題名のない音楽会」を見た。その後、いとこと田んぼで捕まえたカエルと遊び、明日が学校!と言って泣きそうな顔で夜の8時半までかかって宿題をして、ご飯を食べて寝た。その間に「何日か遅れちゃったけど」と言って私に誕生日プレゼントをくれる。中身は近くのお店で買ってきてくれた、ビールとつまみ。・・・、さいこー!
親バカだー。
ってことで、明日からまた忙しくなる!
それでもこのGW。改めて娘の「核」ができていることを実感。あとはやんわり見守っていこう。
【写真】昨年の大晦日。コインランドリーにて。娘はよく手伝ってくれている。今日も、私が何も言わないのに洗濯物をたたんで片付けてくれた。助かるー!ありがと!
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働く母は、いろいろな「悪気のない」言葉を浴びた。
その度に、私はちょいと傷つき、「ま、仕方ないか」と開き直った。ただ、子どもの一生を考えたら母親としての私が傷つく言葉などはとても些細な出来事の連続だから、彼女にとって堂々と生きるための「シールド」(前に書いた村上 龍著「盾(シールド)」より)があれば大丈夫なのだ、と思った。
彼女にとってそれは、ピアノ。
3歳になる年、彼女はピアノが習いたいと言った。でも、仕事をしていた私には指定された「平日の昼間」という時間に、彼女をレッスンに連れて行くことができなかった。ちょっと、自分を責めた。でも、仕方ないやねー。
明るく考えて翌年、ようやく土曜日のクラスが設定され、娘に音楽という「言葉」をもつきっかけを作ることができた。1年待って、ようやく音楽を習い始める。それなのにその1年、娘は全く歌わず、奏でなかった。先生に質問されても、答えない。いつまで先生が付き合ってくれるのだろうと、付き添う親として、私はハラハラした。
翌年、「あの教室はピアノを弾かない。ピアノが弾きたい」と娘。4歳になる年に、ピアノ教室へ。「ピアノ」という楽器の音が大好だった娘は、エレクトーンを弾くグループレッスンの音楽教室と、個人のピアノレッスンに通い始める。どちらも練習をしなければついていけない。5歳から7歳にかけて、それは大変な日々が続いた。
私が手伝うわけにもいかない。
何より私は仕事が忙しく、娘の練習を毎日見てあげるわけにも行かなかった。娘は、サボった分、思うように動かない自分の手をたたき、泣きながら練習した。練習を始めると2時間でも3時間でも弾く。辛いので、「辞めたい」と娘は何度も言った。でも、絶対に辞めさせなかった。これは彼女にとっての「言葉」なのだ、と私は信じていたので。
そうして、8年。よく続けた。
今ではピアノが彼女の「言葉」になっている。
時は、生誕250周年のモーツアルトブーム。娘、モーツアルトのピアノ・ソナタ 第15番 第一楽章 がどうしても弾きたかったらしい。で、楽譜もないのに、キーボードが自動演奏する「音」と、とりあえず表示される楽譜を見ながら練習。何だか、弾けてる・・・。なかなかいいじゃんー。
母親が仕事をしてようがしてまいが、子どもは育つ。
父も母も、子も、みな人生をしっかり生きよう。家族のありようは様々でいいじゃないか。ピアノ・ソナタを聴きながら、娘の言葉を思い出した。彼女と初めて保育園に行った朝「ママ、さくらがきれいだね」と言った娘。私は、ずーっと仕事をしてきたし、いまじゃ娘と二人暮らし。それでも彼女はあの頃と変わらず、素直で優しい心の持ち主だ。それがあなたの弾くピアノ・ソナタにあらわれているよ。
今日の娘、早起きしてフジコ・ヘミングが出演する「題名のない音楽会」を見た。その後、いとこと田んぼで捕まえたカエルと遊び、明日が学校!と言って泣きそうな顔で夜の8時半までかかって宿題をして、ご飯を食べて寝た。その間に「何日か遅れちゃったけど」と言って私に誕生日プレゼントをくれる。中身は近くのお店で買ってきてくれた、ビールとつまみ。・・・、さいこー!
親バカだー。
ってことで、明日からまた忙しくなる!
それでもこのGW。改めて娘の「核」ができていることを実感。あとはやんわり見守っていこう。
【写真】昨年の大晦日。コインランドリーにて。娘はよく手伝ってくれている。今日も、私が何も言わないのに洗濯物をたたんで片付けてくれた。助かるー!ありがと!
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>思いを外に向ける手段としてピアノ・・・。
僕も小さな頃はなにもしゃべらなかった口なので、もしかすると親はこんな風に思ってピアノ教室へ放り込んだのかなぁとちょっとハッとしました。
まぁ僕の場合は10年続けたピアノもまったく身につかず、教室で読んだ【サザエさん】のストーリーだけしか覚えていませんが、親以外の大人に立ち向かう場所として良かったなと思ってます。
気持ちのやりとりって、手段選ばずですよね~。