娘と埼玉までドライブ。上毛カルタを思い出し読み上げる。高速道路を軽快に走りながら「あ、は?」と私が質問。娘が「浅間のいたずら鬼の押し出し」と答える。「い」は「伊香保温泉日本の名湯」。「く、は?」の質問に「草津よいとこ薬のいで湯」と娘。「えー、草津よいとこ一度はおいで、じゃないの?」と私。「違うよ~、それは歌!」と娘。「くさ~つよいと~こ いちどは おいで~ ドッコイショ♪」と歌って二人で大笑い。そうして楽しくおしゃべりをしながら「ら」になった。えー、何だっけ?どうやら娘、思い出せないようだ。
「ら、はさ、夏にゴロゴローってなるものあるでしょ。」「あ、雷!」「そうそう。それを音読みにすると?」「音読みってなーに?」「えー、音読みと訓読みも分からないのー?1年生からやり直しだね」「むかつく!」「音(おと)で読むのさ。例えば音楽のオンはおとって読むでしょ。『オン』は意味が分からないただの音(おと)だから音読み、『おと』はそれだけで意味が分かるから訓読み」。学校ではそう教えないだろうけど、世の中こんな程度の解釈だって十分生きていける。そうして生きている私が言うんだから間違いない!
やっぱりそれで娘には通じた。
「分かった!分かった!雷は地雷の『ライ』だ」。「そう。だから上毛カルタでは『雷(ライ)とからっ風義理人情』っていうでしょ」。「そうだ!くやし~」。
「ママ知ってる?地雷はね、足だけが飛ばされるように作られた爆弾なんだよ。イランやロシアなどにはたくさん埋められているんだ。お菓子かな、と思って地雷に近づいた子どもの足が地雷でなくなったりしているんだよ。2001年の調査で日本には無いと言われたけれど、それから時間がたっているからもしかしたら日本にもあるかもしれないね」と娘。
「そうなんだ~」。
随分と辛いことを淡々と話すなー、子どもってすごい。「かわいそう」というような同情的感情ではない。「どうしてそうなのか」ということを知りたい気持ちが先にある。大人から見たら残酷なのかもしれない。でも、それはとても純粋で当然のことだ。「どうしてそんなこと知ってるの?」「今、学校でね、調べたいことで分かれたグループ毎に障害について勉強してるんだ。私は義手や義足について調べたかったのでそのグループ。それがさ、そのグループ人数少ないの!」娘なりに何か言いたいらしい。ま、それはおいておき。「人間だけじゃなく、象の義足もあるんだ」と娘。「へぇ。でも義手か義足か分からないね、象は」。「確かに!」
「ところであなたたちはさ、何を調べたいの?」
「世界にどのくらい義足や義手を使っている人がいるのか、とか、それはどうしてそうなったのか、とか。いろいろ。でもね、ママ、ちっとも情報がないんだよ。」「情報はあるでしょー。」「ない!本だけじゃないよ、インターネットも使って調べたもん。でも、ちっとも出てこない。」「うそー。キーワードが悪いんじゃないの?「ぎそく」って、ひらがなで入力したとか」。「ううん。漢字で入力した!」「それならば、義足を使っている人がどんな人なんだろうと想像して・・・、そうね、例えば『足の障害』とか、そういうキーワードを入れてみたら?」「ママ、どんな人が使っているのか、それが分からないから調べたいんだよ」。 あ、・・・。確かに、そうだ。情報活用アドバイザーを名乗る私、娘に教えられる。そうだ、分からないから調べるんだ・・・。
「先生もぜんぜん教えてくれないし。これじゃ、分からないままだよ!」ちょっと怒り意味の娘。「分かったよー。ママがその情報検索、手伝ってあげるよ。でも、日曜の夜まで時間は作れないよ。それでもいい?」「いい!」
そうだよね。分からないから調べるのに、自分の知っているキーワードじゃちっとも情報にたどり着けない。ほんとにそうだ。「キーワード検索」の難しさを再認識した私。最近、インターネットによる情報検索ではほとんど困ったことがないのでそういう気持ちをすっかり忘れてた。いかん、いかん!
「良かった~。実はママに手伝って欲しかったんだよねー。ママがいたらバッチリだもん!」
えっ?もしかしてこれ、娘の思う壺だったってことなのかいな・・・。仕組まれたー。
【写真】私の情報検索のとっておきアイテム『google』さん
「ら、はさ、夏にゴロゴローってなるものあるでしょ。」「あ、雷!」「そうそう。それを音読みにすると?」「音読みってなーに?」「えー、音読みと訓読みも分からないのー?1年生からやり直しだね」「むかつく!」「音(おと)で読むのさ。例えば音楽のオンはおとって読むでしょ。『オン』は意味が分からないただの音(おと)だから音読み、『おと』はそれだけで意味が分かるから訓読み」。学校ではそう教えないだろうけど、世の中こんな程度の解釈だって十分生きていける。そうして生きている私が言うんだから間違いない!
やっぱりそれで娘には通じた。
「分かった!分かった!雷は地雷の『ライ』だ」。「そう。だから上毛カルタでは『雷(ライ)とからっ風義理人情』っていうでしょ」。「そうだ!くやし~」。
「ママ知ってる?地雷はね、足だけが飛ばされるように作られた爆弾なんだよ。イランやロシアなどにはたくさん埋められているんだ。お菓子かな、と思って地雷に近づいた子どもの足が地雷でなくなったりしているんだよ。2001年の調査で日本には無いと言われたけれど、それから時間がたっているからもしかしたら日本にもあるかもしれないね」と娘。
「そうなんだ~」。
随分と辛いことを淡々と話すなー、子どもってすごい。「かわいそう」というような同情的感情ではない。「どうしてそうなのか」ということを知りたい気持ちが先にある。大人から見たら残酷なのかもしれない。でも、それはとても純粋で当然のことだ。「どうしてそんなこと知ってるの?」「今、学校でね、調べたいことで分かれたグループ毎に障害について勉強してるんだ。私は義手や義足について調べたかったのでそのグループ。それがさ、そのグループ人数少ないの!」娘なりに何か言いたいらしい。ま、それはおいておき。「人間だけじゃなく、象の義足もあるんだ」と娘。「へぇ。でも義手か義足か分からないね、象は」。「確かに!」
「ところであなたたちはさ、何を調べたいの?」
「世界にどのくらい義足や義手を使っている人がいるのか、とか、それはどうしてそうなったのか、とか。いろいろ。でもね、ママ、ちっとも情報がないんだよ。」「情報はあるでしょー。」「ない!本だけじゃないよ、インターネットも使って調べたもん。でも、ちっとも出てこない。」「うそー。キーワードが悪いんじゃないの?「ぎそく」って、ひらがなで入力したとか」。「ううん。漢字で入力した!」「それならば、義足を使っている人がどんな人なんだろうと想像して・・・、そうね、例えば『足の障害』とか、そういうキーワードを入れてみたら?」「ママ、どんな人が使っているのか、それが分からないから調べたいんだよ」。 あ、・・・。確かに、そうだ。情報活用アドバイザーを名乗る私、娘に教えられる。そうだ、分からないから調べるんだ・・・。
「先生もぜんぜん教えてくれないし。これじゃ、分からないままだよ!」ちょっと怒り意味の娘。「分かったよー。ママがその情報検索、手伝ってあげるよ。でも、日曜の夜まで時間は作れないよ。それでもいい?」「いい!」
そうだよね。分からないから調べるのに、自分の知っているキーワードじゃちっとも情報にたどり着けない。ほんとにそうだ。「キーワード検索」の難しさを再認識した私。最近、インターネットによる情報検索ではほとんど困ったことがないのでそういう気持ちをすっかり忘れてた。いかん、いかん!
「良かった~。実はママに手伝って欲しかったんだよねー。ママがいたらバッチリだもん!」
えっ?もしかしてこれ、娘の思う壺だったってことなのかいな・・・。仕組まれたー。
【写真】私の情報検索のとっておきアイテム『google』さん
義足の概数、NPOの活動など。
http://www.jica.go.jp/classroom/ronbun2003/s_02.html
大学生の地雷についての論文。とんちゃんさんのお子の視点と同じ書き方で、読みやすそうです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/world_life/peace/mine/photo_02.html
子供向け情報サイト。もの足りなさそう。
http://www.chunichi.co.jp/kodomo/report/20020407.htm
子供が義足について調べた様子。
日曜日までのつなぎに?
私はこうして調べて子どもが知りたいと思っているたくさんの情報に出会いますが、少なくともそれを印刷して子どもに「ほらこれを見なさい!」などと渡したりしません。
子どもがこの情報を、自ら調べることに意味があるのだから、その手伝いをするまでです。今、私はasaiさんからいただいた情報を元にさらに自分の疑問を解明すべく検索に挑んでいます。子どもの質問から、自分が知らなかった世界を知ることができて本当に良かったと思う。娘に感謝です。そこで得られた情報も学んだこともそれは自分の学びとしてあるだけです。
それを子どもに教える、それはダメ!子どもが質問してきたときに始めて私は自分の知りうることを話します。また、その質問を導く質問を投げかけます。
親としてできること。
それは教えることではない。見守り、導くことです。それを間違わずに行きましょうや!
「教える」ことは子どもが自分で身につけることにはなりません。自分で答えを見つけさせませんか。ひとりで歩める大人に育つように。
濁りのない子供の視点からは何が見えるのだろう、
とも考えたりもしました。
自ら調べ辿り何かを感じたり掴んだり、
大切なことなのだと改めて思いました。
こうやってまた一つゆかちゃんは階段を上って
素敵な女の子になってゆくのでしょうね