埼玉のかあちゃん社長奮闘記_サステナブルな毎日

起業して20年超。藍染めを傍らに太陽や風、星や花の声を聴きつつ埼玉とみなかみを行き来する埼玉のかあちゃん社長奮闘記です。

私が田舎で暮らすわけ-その1

2006-02-10 13:13:20 | ライフ&ワーク
スピード協議離婚をしたのが昨年の9月末。10月にはたった4個の衣装ケースを持って家を出て、娘と田舎暮らしを始めた。そういえば離婚から引越しまでの10日間。いつものように夫婦と子ども、3人で手をつないで買い物に行ったり鍋をつついたりしていたのだから本当に変わっている。いやいや、何も憎しみ合う必要はない。憎しみ合うような関係になるのが嫌だったので、離婚した。そんな私が田舎で暮らしたいと思った理由は2つある。

ひとつは、子どもが育つ環境を選びたかったこと。
子どもが人としてきちんと育っていく環境が欲しかったのだ。私は子どもを育てることについて「社会で生きる大人を育てること」だと思っている。それには勤労の尊さや、人の中で生きぬく技術が「知識」として頭の中にあるのではなく、感覚の中に培われ行動できる人に育つことが必要だと思う。そんな子育ては、親だけではできない。残念ながら私は、埼玉という地域での子育てにそれを見出せず疲れてしまった。母親が働くことについて「なぜ働くの」という問いに答えることから始めないといけなかったこともそのひとつ。働くママより、子育てしながらカルチャースクールに通うママのほうが「勝ち組」だ、というような風潮。私にはついていけなかった。母であれ父であれ、おじいちゃんもおばあちゃんも、当たり前のように働く田舎。健康な若い人が、働かずに趣味に時間を費やし家にいるなど不自然なことだ。子どもの教育について「(仮想でない)現実的な体験」を重視する私が飛び込める環境が欲しかった。

田舎では、そういうたくましい大人たちが子どもたちと接している。
嫌なおばさんもいる。納得できないことを言う変なおじさんもいる。いつもお菓子をくれる人のいいおばあちゃんもいる。それでいい。多くの大人が一人の人間として子どもと真正面から向き合っていたら子どもはどんなに安心してわがままを言えるだろう。

娘が昨日言っていた。「今日授業がいろいろ変わっちゃったんだよー。私ね、3時間目の英語が嫌だったの。やだなーと思っていたら、2時間目に教室の電話が鳴ってね、先生がしまった!みたいにベロ出したんだよ。ほんとは英語の先生が来ない日だったのに間違えて時間割に入れちゃったんだってー。先生がごめんねー、って言ってた。私は、ラッキーだったけど!」
子どもの話を聞いていると、ひとりの人間としての先生が見えてくる。毎日こうしたやり取りをする中で、人間同士の信頼感が先生と子どもたちの間で育まれているんだなー、と思う。「埼玉の先生は謝らないよ。失敗しないようにしてるんかね。威張ってる。教室にもいないし。つまんない」だそうだ。そういえば引越し前、9月頃の娘は毎日のように「学校へ行きたくない」と言っていた。

そんな娘、今日はスクールバスに乗り知的障害のあるお友達がいる「榛名養護学校」へ遊びに行っている。自分の学校の中にも障害のある子どものクラスがあるので、彼女にとっては大勢の友達と遊ぶことが楽しみでしょうがないらしい。昨日、知的障害のある友達との接し方を教えてもらった。
「ママ、知的障害の友達にはね、ゆっくり、はっきり、短い言葉で話してあげればいいんだよ。」
「チョー、とか、○○ジャン、とかは言っていいの?」
「そういう言葉は使わないほうがいいよ」
なるほど、Webアクセシビリティと一緒だ。基本的な美しい言葉を使えばよいのか。

おー、長くなったので「私が田舎で暮らすわけ-その1」として、ここまでにしとこー。
埼玉の子育て事情について厳しいことを書いた。こんな私は今でも埼玉県で、情報化時代の自立支援・人材育成・就労支援を行うNPO法人「ラナップ」を運営している。埼玉に、これからの力強い人材が育つような環境をつくりたいと思っている「埼玉県子育て応援団」の一人です。

【写真】私の朝ごはん。娘がにぎってくれた野沢菜おむすび。電車の中で食べました。

とんさんち
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クリエイティブな仕事に集中... | トップ | プライマリーバランスの話しから »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ライフ&ワーク」カテゴリの最新記事