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2007年1月24日、朝のNHKラジオを聴いて思ったこと。教育再生会議にからめて現在の日本の教育について早稲田大学教授、教育論専門のキタ アキト氏のコメントを聞いた。彼の言葉で私の心に残ったことが二つある。ひとつはゆとり教育が目指していたもの。それは「自分の力に気付き、能動的に活動する力を伸ばすのが目的だった」という言葉。もうひとつは「今の子どもたちにかけているのは、自己肯定感だ」と言う言葉。どちらも、納得。
「ゆとり教育」について。
娘が2000年度に小学1年生を迎えることもあって、我が娘の入学から、完全学校週休2日制、ゆとり教育が始まることは私にとっては大変に興味があった。そこで、ゆとり教育についてあれこれ情報収集したのを覚えている。
授業参観にはなかなかいけないが、これでも子どものことは気になっているのだ。こんなおかあちゃんでも!と、前置きし・・・。
娘の小学校入学前、入学後の3年ほどの間に感じたことは、「ゆとり教育が目指したものが間違っていたのではなくて、環境がついてこなかった」ということ。つまりは、1週間を7日と考えると、「5日学校で学び、2日地域で学ぶ」学校で学べないことが山ほどあるので、「生きる力」を地域で学ぶというのが、ゆとり教育の目指すところなのだと私は理解していた。要は、地域と学校が一体となって子どもの成長を見守り、社会を生き抜く力強い子どもを育てるのだ!というなんとも画期的なプロジェクトだった、と。
しかし、現状は違った。
わが子もよその子も受け入れて、皆で子どもを育てるのだといった環境が、地域社会にはなかった。不安を抱いた親たちは、空いた時間を「良い学校へ入れるため」に塾通いに当てた。遊ぶ相手のいなくなった子どもたちは、遊ぶ相手もなく家にこもった。そんな問題を知ってか知らずか、相変わらず学校は閉鎖的で「地域」を受け入れようとはしなかった。カリキュラム「ゆとり」として与えられた時間は、社会とは別の社会にある大人といわざるを得ない「教師」が、工夫し、苦労して、作り上げた。(これは、先生方の苦労を知っているので、コメントできません・・・。先生だけを責められないんですわ。結局のところ、私を含め、どんな大人も狭い社会で生きているのですから・・・。)そのような見せかけの学習となってしまったのが、ゆとり教育だったのではない?!
つまり、大人の失敗です。
多くの大人たちが、子どもよりも先に「自分の力に気付き、能動的に活動する力を伸ばす」ことのほうが先だったということに気付かされた悲しい現実。組織を超えて関わる勇気も持てなかった大人の失敗。「子どもがダメ」なのではなくて、私も含め「大人がダメ」だったんです・・・。だからこそ、これからは「子どもを受け入れる地域づくり」に、ひとりの大人としてきちんと関わりたいと思うねー。
話は変わり、「自己肯定感」について。
私は母の口ぐせを思い出す。私が大嫌いだった母の口ぐせ。「どうせお母さんは、何にもできないの。だからしょうがない。」そんなこと思ってもいないだろ、という場面でも謙遜して(?)母は言った。
私はそんな母の口ぐせが嫌いだった。
いつも「自分はこんなだから、しょうがない」。
もうやめようよ~、そういう物言い。思い出すと未だに腹が立つ。この母のおかげで「どんな時も私に出来ることが必ずある。だからそれを見つけ出し、それを伸ばして、一生懸命やってみる」そんな今の私があるんだ。母に感謝する。
そう、子どもたちが萎縮している。
さいたま市が行った「学力調査」の結果を見て、昨日もそれを感じた。
子どもが持っている力を伸ばすのは、大人の狭い価値観からくる「管理」なのではなくて、子どもが伸びやかに自分の力を試せる環境づくりと周囲の支え、励ましなんじゃないかと思うね~。つくづく。
「自信」がもたらすパワーってのは、すごいから。
大人も子どもも、自分に自信を持って暮らしましょーよ。
「どうせ私は、何にもできない。だからしょうがない」そんなこと思うな~。
いいのよ、生きていて。それだけで、あなたには価値がある。
【今日の名言】
『塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない
だが、なめてみればすぐ分かる。』
松下幸之助
【写真】「ねぎぼうず」の絵。
娘が「ねぎぼうず」を知らないと言うので私が書いたら、へんな吹き出しを書き込んだ・・・。なかなかいいんじゃない!
有限会社E-スタヂオ
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「ゆとり教育」について。
娘が2000年度に小学1年生を迎えることもあって、我が娘の入学から、完全学校週休2日制、ゆとり教育が始まることは私にとっては大変に興味があった。そこで、ゆとり教育についてあれこれ情報収集したのを覚えている。
授業参観にはなかなかいけないが、これでも子どものことは気になっているのだ。こんなおかあちゃんでも!と、前置きし・・・。
娘の小学校入学前、入学後の3年ほどの間に感じたことは、「ゆとり教育が目指したものが間違っていたのではなくて、環境がついてこなかった」ということ。つまりは、1週間を7日と考えると、「5日学校で学び、2日地域で学ぶ」学校で学べないことが山ほどあるので、「生きる力」を地域で学ぶというのが、ゆとり教育の目指すところなのだと私は理解していた。要は、地域と学校が一体となって子どもの成長を見守り、社会を生き抜く力強い子どもを育てるのだ!というなんとも画期的なプロジェクトだった、と。
しかし、現状は違った。
わが子もよその子も受け入れて、皆で子どもを育てるのだといった環境が、地域社会にはなかった。不安を抱いた親たちは、空いた時間を「良い学校へ入れるため」に塾通いに当てた。遊ぶ相手のいなくなった子どもたちは、遊ぶ相手もなく家にこもった。そんな問題を知ってか知らずか、相変わらず学校は閉鎖的で「地域」を受け入れようとはしなかった。カリキュラム「ゆとり」として与えられた時間は、社会とは別の社会にある大人といわざるを得ない「教師」が、工夫し、苦労して、作り上げた。(これは、先生方の苦労を知っているので、コメントできません・・・。先生だけを責められないんですわ。結局のところ、私を含め、どんな大人も狭い社会で生きているのですから・・・。)そのような見せかけの学習となってしまったのが、ゆとり教育だったのではない?!
つまり、大人の失敗です。
多くの大人たちが、子どもよりも先に「自分の力に気付き、能動的に活動する力を伸ばす」ことのほうが先だったということに気付かされた悲しい現実。組織を超えて関わる勇気も持てなかった大人の失敗。「子どもがダメ」なのではなくて、私も含め「大人がダメ」だったんです・・・。だからこそ、これからは「子どもを受け入れる地域づくり」に、ひとりの大人としてきちんと関わりたいと思うねー。
話は変わり、「自己肯定感」について。
私は母の口ぐせを思い出す。私が大嫌いだった母の口ぐせ。「どうせお母さんは、何にもできないの。だからしょうがない。」そんなこと思ってもいないだろ、という場面でも謙遜して(?)母は言った。
私はそんな母の口ぐせが嫌いだった。
いつも「自分はこんなだから、しょうがない」。
もうやめようよ~、そういう物言い。思い出すと未だに腹が立つ。この母のおかげで「どんな時も私に出来ることが必ずある。だからそれを見つけ出し、それを伸ばして、一生懸命やってみる」そんな今の私があるんだ。母に感謝する。
そう、子どもたちが萎縮している。
さいたま市が行った「学力調査」の結果を見て、昨日もそれを感じた。
子どもが持っている力を伸ばすのは、大人の狭い価値観からくる「管理」なのではなくて、子どもが伸びやかに自分の力を試せる環境づくりと周囲の支え、励ましなんじゃないかと思うね~。つくづく。
「自信」がもたらすパワーってのは、すごいから。
大人も子どもも、自分に自信を持って暮らしましょーよ。
「どうせ私は、何にもできない。だからしょうがない」そんなこと思うな~。
いいのよ、生きていて。それだけで、あなたには価値がある。
【今日の名言】
『塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない
だが、なめてみればすぐ分かる。』
松下幸之助
【写真】「ねぎぼうず」の絵。
娘が「ねぎぼうず」を知らないと言うので私が書いたら、へんな吹き出しを書き込んだ・・・。なかなかいいんじゃない!
有限会社E-スタヂオ
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セミナーでも、「自信を取り戻すことの大切さ」がお話に出てきて、心に残っておりました。
私は…まずは子どもを寝かせてからの毎日二時間を、仕事に戻ったときに「こういう勉強をしていました」と言えるようなことに使いたいな、と思いました。
今日はありがとうございました。
昨日のセミナー。私自身、「あの頃」の自分を振り返り、また、たくさんの悩みを抱え苦しむ(!)今の自分を励ましながら、なるべく具体的なコメントをしたいと集中していました。
おくさんのコメント、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
「命の大切さ」。
最近では子どもたちに向けて発せられる言葉ですが、まさに私は自分に向けて、この言葉をかみ締める毎日です。
私が生きている意味とは、私の人生とは、私が幸せに生きることとは。自分ができること、できないことを素直に見定めて、できることからがんばってみようと思います。
無理せず、前を向いて、がんばっていきましょうね~!!お互いに!!