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しかし、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)=生命の質を前提にした場合、終身刑は死刑に相当するのではないだろうか?
〚QOLの高低〛は脳死や人工妊娠中絶、尊厳死・・・などを実現する倫理的基準に成るのだが、〘生命の質〙を前提にした場合〚身体の拘束と行動の制限を前提に釈放の可能性を皆無にした終身刑〛は【QOLが低い】状態に当たる筈で、その有り様に依っては〘死刑に相当する刑罰に成り得る〙と考えている。
想像して欲しい。『残りの何十年の間、会話すら乏しい狭い独居監房で、行動を制限されつつ反省を強いられながら活かし続けられる。』これは筆舌に耐え難い苦痛でしょう。
絶望しかない(QOLが低い)状態で活かし続けられる事自体が罰であり、その片方の天秤には死刑存続派の不正義である《冤罪の可能性》が乗っているのだから、死刑論法から考えても、それは【国民全体の不利益には成らない】だろうと考えてる。
ただ断って置くが、私は可能性を提示しているだけで積極的死刑廃止派では無い。