当人は世俗的成功を望みながら、やっていることは聖功を目指しているとしか思えない事例は非常に多い。 その最たるものが、『人の喜ぶことをやれば、お金は後からついてくる』、『世のために働けば、お金は自然に貯まる』などの決まり文句だ。 はっきり言って、嘘ではないが、世の中そんなに甘くはない。
すでに中・大成功をおさめている者が、自身に対する戒めの言葉として使うのであれば、重要なことだ。 おカネには魔力があるから、自戒しなければ、すぐ守銭奴に堕する。 しかし、小成功すらしていない者が真似しても、世間並みの稼ぎも期待できない。 本当にこれだけで金がたまるなら、仏陀やキリスト、歴史上の偉人聖人たちは、みんな大金持ちになっている。 成功本の多くが、聖功、大成功も一緒くたにして哲学や方法論を論じているのが原因だろう。
世間には弱者、困窮者のためにがんばっている本当に尊敬すべき人たちはたくさんいるが、お金には縁の薄い人たちばかりだ。 例外的に稼いでる人は、必ず収支勘定を抜け目なくやっている。
『人の嫌がること』、『世のためにならないこと』をやって稼いだら、それはただの犯罪だ。 だから、『人の喜ぶこと』、『世のためになること』は、必要だ。 しかし、重要ではあるが条件のひとつにすぎない。 需要(お客さん)発掘の段階では、ある程度赤字覚悟の安売りは必要だが、ひとたび売れ筋を確信できたら、利益を上げる合理的な損得勘定は、必ずやらなければならない。
本田バイクの技術的素晴らしさは、創業時から有名だった。 しかし、本田宗一郎が40歳頃まで会社は常に大赤字で、倒産の瀬戸際まで追い込まれたこともあった。 それを救ったのが、財務の神様・藤沢武夫との出会いだった。 その後、本田自動車は急成長、世界のホンダになった。 どんなに立派な理念を掲げ、どんなに素晴らしい製品を売っても、赤字が続けば会社は倒産する。
もし、損得勘定を少しでも卑しいと考えるなら、民業には向いていない。 公務員かアルバイトをやりながら大成功を狙うか、ボランティア活動などで聖功をめざすか、そもそもセイコウを望まない人生を選ぶべきだろう。
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