永崎士道の建設業徒然なるままに、時々国防とグルメも

主に建設業の話題を書きたい。
私自身建設会社の社長だったので、
業者贔屓の発言も大目に見てください。

談合(カルテル)ブレーンストーミング(その18)

2012-07-07 | 談合

人間は理性的な生き物である。が同時に、感覚にも強く影響される。 そして、感覚器官は、肉体を通じた刺激によって情報を受ける。 つまり、感覚は肉体的経験がなければ、存在しえないものである。 だから、近代の理性主義、合理主義、客観主義(以下、理性主義)では、主観的感覚(以下、感覚主義)は徹底的に軽蔑されてきた。 

ニュートン物理学に始まる近代科学は、理性主義で大成功を収めた。 ところが、自然科学が華々しい成功を収めるようになると、法律、経済などの人文系の学問でも、理性主義が絶対視されるようになってしまった。

自然科学が理性主義を絶対視するのは問題は少ない。 なぜなら、その研究対象は基本的に生きた人間ではないから。 しかし、人文系の主たる研究対象はまさに生きた人間であり生きた社会である。 研究対象の違いを無視して感覚主義を切り捨て、文系が理性主義を採用したのは大きな間違いである。

死体解剖で完璧な手術方法でも、生きた人間が耐えきれなければ意味がない。 

『 理論的に手術は大成功。しかし、痛みに耐えきれず患者は死にました 』という結果になってしまう。 現在、日本の多くの経済政策が、まさにこのような状態になっていると思う。 政策を考え執行している者たちが、現場の実態を知らないからである。 感覚は肉体的経験がなければ、機能しない。 そして、日本だけが、彼らに経済の実態(たとえば、倒産、失業、ハローワークに並ぶ、借金行脚など)を経験させる制度を持っていない。

すでに何度か書いたが、地方公務員から国家公務員、一般職から特別職、ヒラから幹部職まで、すべての役人を終身雇用しているのは日本だけである。 欧米の中央銀行が際限なく紙幣を刷ってデフレ脱却をしようとしているのに、日銀だけが既存の経済理論に忠実なのも、税金で終身雇用されている公務員だからである。

今日はここまでにします。 おやすみなさい。


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