為替相場が、固定から変動制に移行したのは1973年。これも自由化の一つだが、私が今まで使ってきた『金融自由化』とは主に資本取引の自由化を指す(以下もこの意味で使う)。資本取引の自由化とは、何度か書いているように、誰でも自由に国境を越えたお金の売買を行えることである。
1986年イギリスのサッチャー改革が先鞭をつけ、日本でも1996年から2001年にかけて行われた。日本の場合、金融自由化は、変動相場制より20年以上も遅い。
変動相場制へ移行した最大の目的は、アメリカの貿易赤字と日独の貿易黒字の解消にあった。当時の経済学者等(特に英米)が考えた調整過程が、談合ブレスト(その14)で説明したものである。 移行前一ドル360円だったレートは、直後に308円と15%以上も高騰、主要通貨の中でもっとも切り上げられた。ちなみに、ドル/ゴールドのレートは、金一オンス35ドルから38ドルになっただけ。約8%程度である。
以後、ドルの暴落はとどまることなく、80年代に入ると一ドル200数十円が定着する。そしてさらに、1985年のプラザ合意以降には、わずか2年で150円を突破、現在は恒常的に80円割れを起こしているのは周知の事実である。
ドルがどれだけ暴落しているのか。原油/ゴールド/ドルのレートで比較すると分かりやすい。1973年以前、原油一バレルを買うためにゴールドは0.08オンス、ドルは3ドル必要だったが、現在はゴールドで0.1オンス、ドルで100ドル超である
ところが、これほど円高ドル安が進んだにもかかわらず、アメリカの対日貿易赤字は一向に減らなかったどころか、増加してしまった。73年30数億ドルだった赤字は一時的に減少するが、78年には100億ドルを突破、85年400億ドル、2005年には700億ドルを突破している。つまり、談合ブレスト(その14)で説明した調整過程は、机上の空論に終わったのである。
すると、アメリカだけでなく、日本の学者、マスコミ、当局までがとんでもないことを言い出した。ちなみに、アメリカの対中貿易赤字は日本の約2倍の1400億ドル。だが、中国は核兵器を持っている。だから、オバマ大統領はG2などとお世辞を言っている。
今日はここまでにします。おやすみなさい。
1986年イギリスのサッチャー改革が先鞭をつけ、日本でも1996年から2001年にかけて行われた。日本の場合、金融自由化は、変動相場制より20年以上も遅い。
変動相場制へ移行した最大の目的は、アメリカの貿易赤字と日独の貿易黒字の解消にあった。当時の経済学者等(特に英米)が考えた調整過程が、談合ブレスト(その14)で説明したものである。 移行前一ドル360円だったレートは、直後に308円と15%以上も高騰、主要通貨の中でもっとも切り上げられた。ちなみに、ドル/ゴールドのレートは、金一オンス35ドルから38ドルになっただけ。約8%程度である。
以後、ドルの暴落はとどまることなく、80年代に入ると一ドル200数十円が定着する。そしてさらに、1985年のプラザ合意以降には、わずか2年で150円を突破、現在は恒常的に80円割れを起こしているのは周知の事実である。
ドルがどれだけ暴落しているのか。原油/ゴールド/ドルのレートで比較すると分かりやすい。1973年以前、原油一バレルを買うためにゴールドは0.08オンス、ドルは3ドル必要だったが、現在はゴールドで0.1オンス、ドルで100ドル超である
ところが、これほど円高ドル安が進んだにもかかわらず、アメリカの対日貿易赤字は一向に減らなかったどころか、増加してしまった。73年30数億ドルだった赤字は一時的に減少するが、78年には100億ドルを突破、85年400億ドル、2005年には700億ドルを突破している。つまり、談合ブレスト(その14)で説明した調整過程は、机上の空論に終わったのである。
すると、アメリカだけでなく、日本の学者、マスコミ、当局までがとんでもないことを言い出した。ちなみに、アメリカの対中貿易赤字は日本の約2倍の1400億ドル。だが、中国は核兵器を持っている。だから、オバマ大統領はG2などとお世辞を言っている。
今日はここまでにします。おやすみなさい。
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