文系エリートの批判をずいぶんしてきたが、私は基本的に、文系エリート個人の資質よりも、現行の制度に問題があるという考えだ。 司法試験、公認会計士試験、国家一種試験(行政、法律職)合格者を何人も知っているが、個人的には尊敬できる好人物がほとんどである(多少高ピーではあるが)。
中でも、早稲田の法学部を首席卒業して裁判官になった中高校時代の同級生は、大人になって考えれば考えるほど立派な奴だった。 中高校も当然首席だったが、本当にまったくと言っていいほど威張らなかった。 落ちこぼれの不良たちにもよく勉強を教えていたから、先生はもちろん全生徒から好かれていた。 だから、個人としての裁判官には非常にいいイメージを持っている。
非公式、密室での権力行使を認めている現行制度に問題があるから、冤罪や誤認逮捕、外資や外国政府を取り締まれないヘタレな文系エリート集団になってしまうのである。
数学という普遍言語を使う理系の学問は、グローバルそして客観的検証が容易にできる。 だから、このたびの山中教授に限らず、理系の学者や技術者は、常に世界レベルの競争にさらされている。 しかし、日本語という特殊なローカル言語を使い、国家主権によって守られた法制度、経済政策あるいは文系官僚たちは、ほぼ完全に国際競争から隔離されている。 これでは、『世界とケンカできる文系エリートたち』が育たなくて当然である。
今日も読了ありがとうございました。 おやすみなさい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます