『数量化』シリーズを書き始めてから、日々アクセス数が減っていきます。 思考回路フル回転で書いているテーマだから、かなりショックですね。 だからというわけでもありませんが、今日は『数量化』小休止して、『組織論』をやります。
新聞大会(日本新聞協会主催)が16日、青森市で開催されたのだが、採択した大会決議を読んでびっくりしてしまった。 『新聞を含む知識への課税強化は民主主義の維持・発展を損なうもので、新聞には軽減税率の適用を強く求める』。
消費増税の必要性を一面展開し、次世代に借金を残さない増税こそ日本の国益だ、と主張していたのはどこのだれなのか。 『公的年金制度は必要か(その1)』でも少しふれたように、当初から財務省と話はついていたようだが、恥ずかしくないのかね。 『社会の木鐸』と自称しながら、『隗より始めよ』という言葉は知らないのか。 まさかそんなこともないが、彼ら日本のインテリ、エリートたちには、戦前も現在も共通した特徴がみられる。 『自分たちは特別だ』という特権意識である。
個人的に付き合えば、優秀で人の好いいい奴がほとんどなのだが、いかんせん何度も書いているように、『一つの職業、一つの組織』しか知らない、世間知らずな単眼思考の者ばかりだから、自分を相対的に見ることができない。 さらに、失敗、過失をかばい合い、馘になることもないから責任を自覚する機会すらない。
戦中から作戦的大失敗と評価されていた陸軍のノモンハン事件や海軍のミッドウェー敗戦でも、腹を切ったのは現地軍の将兵ばかりで、作戦を立案した参謀、高級将校たちはだれも責任を取らなかった。 高学歴職種に特徴的な人材流動性のない日本の組織は、国家レベルでも、組織レベルでも、上に行けばいくほど顔見知りの固定された人間関係が増え、外部に対して閉鎖的で無責任なムラ社会化してしまう。
一般的に、免責特権を受けた人間は感謝するどころか、自分は特別な存在だと勘違いする。 無期懲役囚が書いた『死刑絶対肯定論』(新潮新書)には、人権派弁護士の減刑運動で『自分は特別だ』と勘違いをしている凶悪犯罪者が、塀の中にいっぱいいると書かれている。
アメリカの新聞社では、経営管理と編集記事部門は完全分離しており、人事交流はまったくない。 両部門ともプロの中途採用が常識で、現場の記者が出世して社長や取締役なる日本の新聞社とは、正反対の会社形態である。
先の採択も『新聞は特別だ』と本気で思っている単眼者たちだから、恥ずかしくもなく宣言できるのだろう。 50年前ならいざ知らず、情報社会の現代、新聞だけが唯一の情報媒体なのか?
川口教授が執筆した『はやぶさ式思考法』(飛鳥新社)を去年購読したが、裏表紙には『本体1300円+税』と記載されている。 当たり前だが、すべての書籍は消費税を負担している。 それとも、書籍より崇高な情報を国民に提供しているとでも思っているのかな。 国民が本当に欲している情報なら、消費税100%でも購読するだろう。 たかだか数%で需要が減るなら、所詮はその程度の商品なのだ。
軽減税率という特権がほしければ、再販制という特権を捨てるべきだろう。 再販制があるから、中古の新聞が市場に出てこない。 中古新聞販売が業として合法化されれば、前日の新聞は半値以下で購読できる。 アマゾンの中古でも購入できる。 一般書籍はみんなそうなっている。 書籍と同等の販売努力をしてから、軽減を叫びなさい。
人には『払え、払え』と督促し、『自分は払わん』では、説教強盗と五十歩百歩ではないか!
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