永崎士道の建設業徒然なるままに、時々国防とグルメも

主に建設業の話題を書きたい。
私自身建設会社の社長だったので、
業者贔屓の発言も大目に見てください。

隠ぺい主義に陥る日本の組織・文化論(その2)

2012-07-15 | 組織論

日本の組織は、戦前も戦後も、人材の流動性が基本的に少ない。 とくにエリートたちが集まる上部組織は、欧米に比べるとほとんどない、と言ってもいいくらいだ。

顔見知り同士の組織では、思いやりという日本の美質が、裏目にでやすくなる。 かばい合いから失敗の責任追及、原因究明がおろそかになってしまう。 さらに、限定された内部の人材ローテーションだけだから、組織としての発想も変わりようもない。 そして、同じ失敗を何度も繰り返す。 消費税が3%から5%に増税された次の年から、年間の自殺者が3万人を突破し続けているのに、今また消費増税である。

戦前は今と比べ物にならないくらい、公に対する責任、義務がうるさく教育されていた。 それでも、軍上層部は陸軍、海軍を問わず同じ失敗を繰り返し、しかも誰も責任を問われなかった。 

元連合艦隊参謀の千早正隆氏は、『日本海軍失敗の本質』の中で、敗戦後、何人ものアメリカ軍参謀から「なぜ、日本軍は失敗した同じ作戦を何度も繰り返したのか」聞かれた』と書いている。 

さらに、勝ったアメリカ軍で軍歴抹消の高級将校たちが何人もいながら、日本軍ではただの一人もいない、というのも驚きである。 アメリカ軍では、重大な作戦失敗をした司令官や参謀たちを軍歴抹消にした。 軍人としての経歴がすべて抹消されてしまうのである。 将校にとっては、恥辱中の恥辱であり、名誉を重んじる軍人なら銃殺の方がまだましだろう。 実際、後に自決した軍人が何人もいるという。 

ところが、日本軍では万単位の将兵を死なせた大失敗の作戦でも、予備役編入程度でお茶を濁し、ほとぼりが冷めた後、昇進した者までいる。 ミッドウェーの大敗でも、高級将校たちは誰も処分されていない。

日本は他国に比べて、リーダーに人格的要素を強く求める傾向がある。 だから総じて、日本のリーダーたちは人格は立派だが、能力が見劣りすることは否めない。 私の知り合いにも、上部組織に属する人たちがいるが、ほとんどがいい人たちばかりだ。 このような人たちだけで組織を作っていれば、責任追及、厳しい処罰が回避されるのも当然だな、という実感がある。 しかし、国家の組織運営がこれでは困るのだ。

『政権交代で何も変わらなかった』とぼやく人たちがいるが、当然であろう。 期間の短さはもちろんあるが、アメリカがそうであるように、行政府(高級官僚)の大量交代とセットで初めて政権交代は機能するのである。 民主党が掲げた公務員の『身分から職業へ』こそが政権交代の真髄なのだが、官公労、自治労に支援された彼らに実現は無理だった。

今日はここまでにします。 おやすみなさい。

 


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