煩雑になりつつある15年戦争の売場本棚を整理して目に止まる。
パラパラめくるうちに一気に読んでしまう。
真実の叫びほど心を打つものはない。
1975年3月22日、『ラジオの青春』というラジオ放送50周年記念番組の最後に一視聴者からの投書が紹介された。昭和二十年八月六日、爆心地からわずか1kmに位置した広島中央放送局は被爆直後、死傷者多数を出し壊滅、放送も停止した・はずであった。統計ではこの1km円内における即日死亡率59%、その後の総死亡率90%という数字を出している。当時女学校1年生だった田辺澄子さんは原爆投下直後、放送停止した・はずの広島中央放送局から大阪局へ応援を求める女性の声を三次市近くの自宅のラジオで聞いた。その悲痛な叫びは息も絶え絶えに30分ほど続きやがてプツンと途切れたという。著者の白井久夫氏は自らが手がけたその『ラジオの青春』の一投書を手掛かりに『幻の声』の主を追い求める17年にも及ぶ取材を続けた。そして1992年、岩波新書新赤版No236『幻の声NHK広島8月6日』として日の目を見る。白井氏は最後にこう結んでいる~「ヒロシマの死者の心は、生者のヒロシマ体験の中に、なおも流れ続けていくといえよう。」
◎追記5/24
ブログ記事をお読みくださり本日売り切れ、オンライン古書店冥利に尽きる。
パラパラめくるうちに一気に読んでしまう。
真実の叫びほど心を打つものはない。
1975年3月22日、『ラジオの青春』というラジオ放送50周年記念番組の最後に一視聴者からの投書が紹介された。昭和二十年八月六日、爆心地からわずか1kmに位置した広島中央放送局は被爆直後、死傷者多数を出し壊滅、放送も停止した・はずであった。統計ではこの1km円内における即日死亡率59%、その後の総死亡率90%という数字を出している。当時女学校1年生だった田辺澄子さんは原爆投下直後、放送停止した・はずの広島中央放送局から大阪局へ応援を求める女性の声を三次市近くの自宅のラジオで聞いた。その悲痛な叫びは息も絶え絶えに30分ほど続きやがてプツンと途切れたという。著者の白井久夫氏は自らが手がけたその『ラジオの青春』の一投書を手掛かりに『幻の声』の主を追い求める17年にも及ぶ取材を続けた。そして1992年、岩波新書新赤版No236『幻の声NHK広島8月6日』として日の目を見る。白井氏は最後にこう結んでいる~「ヒロシマの死者の心は、生者のヒロシマ体験の中に、なおも流れ続けていくといえよう。」
◎追記5/24
ブログ記事をお読みくださり本日売り切れ、オンライン古書店冥利に尽きる。
幻の声―NHK広島8月6日 (岩波新書)白井 久夫岩波書店このアイテムの詳細を見る |