雨の日に兄を天国へ見送りました。
すい臓がんを患って最長でも10か月生きられるかでしたが4年近く生存することが出来ました。
ひとえに兄嫁の介護のお陰だったのでしょう。
4月13日に緩和病棟に入り、心の準備をしながら、今日か明日かと宣告されて以来ずっと
兄嫁に寄り添いました。
4月27日午前1時5分・・永眠です。71歳でした。
”安かれ”家族のためにただひたすら働いた兄です。
肉体はありませんが、その魂は多くの人たちの心に引き継がれることでしょう。
抗がん剤を受けながら「写経」を毎日していたようです。
定年まで勤めたJRの職場巡り・葬儀の予約・お礼のあいさつ文など残していました。
いのちの終わりが迫っている時、その時を落ち着いて迎え入れられるのかと驚きでした。
心の支えになってくれた兄です。人生の指針でした。
兄の気持ちを少しでも受け継いでいけたらと思っています。
すい臓がんを患って最長でも10か月生きられるかでしたが4年近く生存することが出来ました。
ひとえに兄嫁の介護のお陰だったのでしょう。
4月13日に緩和病棟に入り、心の準備をしながら、今日か明日かと宣告されて以来ずっと
兄嫁に寄り添いました。
4月27日午前1時5分・・永眠です。71歳でした。
”安かれ”家族のためにただひたすら働いた兄です。
肉体はありませんが、その魂は多くの人たちの心に引き継がれることでしょう。
抗がん剤を受けながら「写経」を毎日していたようです。
定年まで勤めたJRの職場巡り・葬儀の予約・お礼のあいさつ文など残していました。
いのちの終わりが迫っている時、その時を落ち着いて迎え入れられるのかと驚きでした。
心の支えになってくれた兄です。人生の指針でした。
兄の気持ちを少しでも受け継いでいけたらと思っています。