偶然見つけてとても気に入ったカーテンを、買ってしまい(参照:一線を超える程の魅力)
まだ仕立て中で届いていないけど、罪悪感でいっぱいです。
選り好みしなければカーテンなら家にはあるからです。自分で選んで買ったもの、昔から家に
あるものの他に、きょうだい達がもう使わなくなって家に持ち寄せたものなどあります。
今ある物や捨てられているのを拾ってきた物をコーディネートして使うのが私の趣味、
信条でやっています。だから、家に足りているのに新しく買うのは信条に反し、罪悪感に
苛まれています。それは、今ある物を否定することにも似ていますから。こんなことを
するのはやっぱりダメだと思う一方、どうしても魅了される出会いはものにしていい
ではないかという思いもあります。そういう出会いはごくたまに、あるものですから。
私はこの敗北感と罪悪感を前にして、このことに気づきました。
私は室内空間作りに興味を持っていて好きなのですが、それは普通のインテリアコーディネート
とは別ジャンルなのだと。お金の力で好きな物を買ってコーディネートするのが全然
燃えないんです。貧乏だからその状況になったことはないけど。 (関連:認知的不協和②)
今ある物や誰かに要らないと判断されて捨てられている物や貰った物で、作るのではないと。
そうやって寄せ集めた物たちを活かして調和させた空間が好きなのであって、
これは通常のインテリアコーディネートとは種類が違うものです。だから「そんなにインテリア
が好きなら、そういう店で働いたら?」と勧められても、なんかやりたいことが違うんです。
中古屋さんとかで、「これ、もうひとつ魅力ないもんね… だからここに持って来られたんやね」
と自分でも見たらわかるものも引き受けたくなって買ってしまうことがあります。もちろん安くないと
買わないけど。それ単体では芸がなくても、他の物たちとの兼ね合いで、それが良かったりするし
単体ではとても素晴らしくても、単体同士がかち合って全体の調和がとれないことがあります。
だから「魅力に欠ける」ものが悪いとはならない。そういう経験と「やってみよう」という思いで、
買ってしまうことがあります。
単体での魅力抜群なものより、そうでないものを調合して組み合わせて
全体を作った時の満足感は、非常に大きいかもしれません。
(関連記事:補い合いによる調和 補い合いによる生産性 物を大切に使い続ける レヴィ=ストロース)