リサイクル市で、フロアランプが安く(2千円で)売ってました。
ただの真っ直ぐな円柱の木、ただの円形の木の台座、生成り色の布シェード
といったシンプルな形で、無印的な佇まいでした。
木も布シェードもしっかりしていて物はよかったです。
こういう↓フロアランプ、テーブルランプがいいんですけどね…
木のポールに装飾が施されていて。
(一例)
装飾はちょっと入っているだけでもいい。その心意気が好きなのです。
コートハンガー(ポールハンガー)とかもそうだけど。
モダニズムのシンプルで無機質な形は、あまり好きじゃなくて、装飾の施された物が好き。
先日 オフハウスという中古屋で、木製コートハンガーが出ていてとても気になりました。
うちではコートハンガーを使う文化はないのですが、こんがり焼けたねじりパンに
そっくりの、木の幹部分に魅了されました。
こういう形の木のポールが、こんがりきつね色に光っていた。
美味しそうなコートハンガー。西洋の絵本に出てくるような。私はそういうのに無性に
魅かれるので用途がなくても買いたくなるんです。用途はいくらでも自然に出来てくるから…
でも一緒にいた人に「用途がないなら買うな」みたいなことを言われて。
本当にそうなんですけどね… でも、暮らしに使う物って用途だけでなくて
美しいとかこの色無性に好き とかも大事で、使い物にならなくても
美しさを気に入っているなら捨てません。そういう物を買ってしまったり…
私は断捨離の反対のことをいつもしています。
“Have nothing in your houses
that you do not know to be useful or believe to be beautiful”
William Morris (1834-1896)
〈追記〉
○○の為にという明確な用途がなくても、家にやってくると不思議といい具合に
機能したりします。その一例を紹介します。奥行の著しく短い、棚ともかかしとも
つかないような木でできた物体を階段あがった所の踊り場に置いたことで、
私の生活にはとても役に立っているんです。
踊り場は、階段と部屋の中とのちょうど間にある空間であり、そこにこの棚とも
かかしともつかない、奥行きが非常に狭い木の物体があると、とりあえず置く
という事ができ、おかげで「あれがない!!」「どこ?!」っていうのが秘かにしかし
格段に減ったと思います。この、間に介在している場所にある物置き物体は
本当に役割を果たしていると思います。これを拾ってきた時も、もちろん
「○○に使おう」という目途などなかったけれど、その奥行がとても狭いことは
却って使える気がしていました。壁にもたれかけないと自立できない形状です。