そうだね、って言われている時に、喜んでご満悦なのは、当たり前。
批判された時に、その人の本当の姿が出ると、親が言っていた。
いいね そうだね 面白いねって言っていいなら、違うと思う それはおかしい
聴くに堪えない とも言っていい。いいねって言うことは、その人への
盲従、追従を意味していない。でも、どこかで道理を大きく履き違えた人が
=でないことを=で直結させて、他者が当たり前のことをした時に逆上することがある。
賛同することもあれば、反対することや疑問を言うことや抗議、苦言することもあるという
当たり前のことをした時に。その勘違いは、色々なもので構成されている。
その直結思考は、良くも悪くも表れて、良い時には、過大に全画面的に喜んで昇天し
悪い時には、端から端に振り切れて、無駄に激怒する。だから、良い時の反応から
未来を予想するのは簡単である。なんか怖い っていう予感。これはブリヂストンの
モラハラ加害者の竹下さんもそうだった。
=でないものをそれぞれ≠だと当たり前に落ち着いて理解して、分別思考できていれば、
過大に有頂天にならないし、無駄にキレ散らかしたりしない。振り子のように端から端に
振り切れて感情を爆発させる、短絡的直結思考・全画面思考の人。怖い。彼にとって
「裏切り」「謀反」行為だと勝手に思っていること(例えば、Noと言ったり 誰かに
対して極めて無礼な発言に不快を示したり、おかしなことにはそれはおかしいと言ったり)
をした時に、激情的にキレ散らかしてくる。女性同士で話す時に、こういう男性のことはよく
話題にあがる。分割思考、≠思考ができていれば、そんなに爆発しなくていいのに。
もちろん、女の人でも道理を履き違えた直結思考の人はいるけれど、男から女にという
状況に有意性がある。
そういう男性には日頃とても「知性的」な観念を語っている人にもいる。
物事は単純ではなくて複雑なのだと、短絡的思考を批判しているのに、自分が女から
Noを突きつけられると、凄まじい短絡思考、極端思考を露呈する。
私は、その人の「知性」は、口で弁論することでは全く測れないと知った。
その人が実際に足元でやっていることで、わかる。口で言ってることより
実際にやっていること。いいね すごいね 面白いねと言われている間には誰だって
気がいいから本質などわからなくて、それ以外のことを言われた時に、本質がだだ漏れになる。
親がよく言っていたこと。
いくら口で、ペラペラと達者なことを弁論していても、いざ自分が意見・批判された時に
目も当てられない醜態を垂れ流すなら、それがその人の本質。言ってることとやってることの
乖離。壇上や紙面や画面上でその人が何を言っても、その人の実際の姿は
口で言う事ではわからなくて、足元でやっていることでわかる。
カルトを批判しながら自分もカルト(しょぼいカルト)状態だったり
リンチを批判しながら自分は信者と誰かをリンチしていたり。口舌の徒。
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長くつきあえる友人や支援者たちは、≠思考で分別して、極端に飛んだりしないから、
安心して接することができる。落ち着いた態度だから関係は安定して、信頼関係ができる。
この態度は支援の教養なのか、それとも彼ら彼女らが経験から身につけた教養なのか。
身近ではそういう関係でいるから、=直結・全画面思考で激情を露わにする人には
恐怖と軽蔑を覚え、普段私の回りにいる人達への愛着をさらに感じる。
端から端に捉えるの、なんだろう。すごく怖い。
そしてそういう激情に囚われた人が、相手に向かって「感情に流されている」とか言う
自己紹介も、なんだろう。あなたのことでしょうとしか…こないだ話した女性も言ってた。
自分の特性を相手の特性のようにすりかえて言う、モラ男の鉄板行為。自己紹介。
モラ男の気づき方についても、後で整理してみよう。