最近、東京シックになっていて、東京の思い出を回想する記事が多くなると思います。
興味のない方には申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
ブリヂストンでの想像を超えた悪質な出来事をうけてトラウマになり、愛着あった私の地元が
フラッシュバックの引き金の宝庫となって、たくさんの場所に行けなくなり、通れなくなりました。
このことが1番の哀しみです。2、3年しか甘木にいない渡り鳥のような転勤族の管理職によって、私の地元生活はめちゃくちゃに破壊されました。
東京に戻りたいと思ったりします。上野アメ横 のこと書いてる時も。
あの頃、とても幸せだった。今よりずっと、笑顔で幸福な顔をしていました。人を、世界を信じていました。
私はあの頃のことを忘れたくないです。今の、こんなうつ状態、トラウマ、フラッシュバックの毎日がデフォルトになったらいけない。
目黒区駒場も思い出の場所です。世界をいいものと信じていて、そこで出会った人達もそれに応えて、本当に素晴らしい日々でした。
植物や花が、活き活きと美しく見えました。物理学者となった友人もあの頃院生で、いつも行動を共にしていました。
福岡に戻って来なかったら、こんな目に遭わなくて済んだ… と思います。
先日、性暴力への抗議集会に行きましたが、そこでの複数のスピーチ(3人以上)で、福岡の男尊女卑土壌が触れられていました。
私も大いにそう思います。ブリヂストン甘木工場の竹下さんも、「九州男児なめんな」と言っていました。
カッコイイと思っている様子で言われてましたが、鳥肌が立つ程恥ずかしい気持ちになりました。
ある女性社員の方が、私を異文化っぽいと感じたのか、「ここは100年遅れている」とそっと耳打ちして
この組織の根強い男尊女卑と激しい上下意識や中身のない形だけの体質について教えてくれました。
正直、戦前のようだと、ここブリヂストン甘木工場では思いました。男尊女卑以外にも、いろいろな面においてです。
ダイバーシティを推進する世界的大企業という外面とはかけ離れた、むしろ真逆の体質が組織にすみずみまで浸透していました。
かれらは当たり前のように、信じられない言動を繰り返していました。
楽しかったあの頃のことを書く記事が多くなるかもしれず、読者のみなさまにはご迷惑おかけしますが
よろしくお願いいたします。