私が小さい頃、町内に古い病院がありました。
緑が繁る空き地の端っこに、その洋館は建っていて、夏には蝉が鳴いていました。
水色だったか若草色だったかペンキ塗りの木造で、随分古くて所々表面が剥げ落ちたその建物には
蔦が這っていて、まるで西洋の油絵に出てきそうな佇まいでした。
院長は、遠方からも患者が来る名医だったそうです。
私も診療に行ったことがあり、その魅力的で怖くもある洋館にドキドキした記憶があります。
医院は私が子どもの頃に廃業して、あるだけで多くを物語る古い館は取り壊され、
今ではその空き地にビニールでできた建売住宅が直線的に並んでいます。
不動産屋が、「あの建売土地は秘かな買い物件!実は、アツい!」と熱弁していました。
とても虚しい気分です…
あの洋館は、私の秘かな精神的な場所、”スピリットスポット”だったのに。(スピリチュアルと言ったら急に手垢臭がしてくるからこう書きました。)あの館にはなんとも不思議な存在感があったと言う町内の人達は多いと思います。
建築家のおじちゃんも、あの洋館病院には想い入れがあったそうで、彼にとってもスピリットスポットだったようです。
建築家として色んな建物とそこで営みをする人々を見てきた彼は、
どういう家で どんな物に囲まれて生活するかで人は作られる 人間は環境で作られる
と強い信念をもたれています。もちろん 建物や生活の道具ということにとどまらず、地域、社会で人間はできる
と主張しています。 (関連:Highly Sensitive Youth)
この洋館以外にも、私にとってのスピリットスポットが、ブルトーザーで破壊されて、新しく
四角四面のコンクリの巨大なインフラ設備がそびえ立ったりしていて、悲しいです。
近所にある、鉄でできた古い水門調節機器の向こうに見える森に囲まれた川は、美しくて、私の中では
トム・ソーヤのミシシッピ川でした。その鉄の調節機器は必要最小限の形で、風景に馴染んでいました。
それが破壊され無駄に大きなプラスチック建材の設備棟が急にそびえ立って、森に囲まれた川が
見えなくなって、本当に悲しいです。