自己決定権の罠を書きながら思ったのですが、建築家のおじちゃんはよく
「調和」とか「おさまりよく」という言葉を発します。
彼の邸宅には有機的建築を提唱したフランク・ロイド・ライトの写真が掛けてあります。
そういえば、ピアノを弾いたり 誰かと話したりした時に
自分の持っているものと相手の持っているものが共鳴し不思議な軌道に乗ることがありますが
そんな時の感覚は、調和した とか 降りてきた とか 重なったとか そういう風です。
そこには、高揚感がありますが、決してピーンと張り詰めた緊張感はなく 柔らかな感じがあります。
私はこのおじちゃんの話を聴いたり、現代の建築や生活環境の惨状を訴え、自然素材による伝統建築に
回帰すること※を説く本を読んだりすると、過去の自分では説明できなかったことが、言えるようになってきます。
例えば私はかつてグラフィックデザインに興味をもち、夜の学校に通っていました。
可愛い缶々 こういうのをデザインする仕事に興味をもった
そこでの勉強は広告や販売戦略ばかりでした。イノベーション普及理論もここで学びました。大学でやったことと反対のことをしました。大学では、自分に知らぬ間に植え付けられ刷り込まれた考え方に気づき批判するということをやり、ここでは人々(物を売るターゲット)にいかに植え付け刷り込むかということをやりました。教えている講師たちは、そのことを自覚していたのかわかりません。販売広告とは、人の優越感、劣等感、虚栄心、かっこつけたいといった欲望や心理を徹底的に煽って利用するものだと感じました。また、先入観やイメージを作って(あるいはもともとあるものを煽って)人々に洗脳することです。えーるぴあ久留米はその逆をしています。トイレの表示は男も女も黒になっています。世の中の決めつけに加担しないためです。
実際に広告は、その製品に含まれている有害なものや企業のやっていることや(例えば自然破壊、汚染、伝統文化の破壊、他の産業の犠牲や破壊、脱税、搾取、ハラスメントetc。)から目を逸らしてそれとかけ離れたイメージで覆い隠すことに使われています。ブリヂストンも、地域貢献などと声高に言って清掃活動や蛍を育てたり子どもへの遊びの提供などスタンドプレイをしていちいち広告することで、この大企業がやっていることを覆い隠しています。まるで国民にとっていい企業であるかのように…
私はコピーライティングにおいて先生に高評価されて私が書いたものをパクられていました。短い文で、真理っぽく快活に書くことです。(だいたい、そういうのはおかしいと思って正解なのです。映画のプロパガンダでも常套的な手法です)私は、あの学校がいやでいやでしかたなかったです。
行く学校を間違えたのでした。美大か芸大だったらよかったと思います。
その時古い喫茶店で働いていました。丁度そういう学校に行っているし、店前の立て黒板に文字を書いたりしてました。
モカマタリ サントス マンダリン ブルボン コロンビア グァテマラ ブラジル ブルーマウンテン キリマンジャロ コスタリカ トラジャ etc..
おいしそうに見えるように、古い雰囲気を出して描きます。とても楽しかったです。「メニュー表も作る?」と店主に言われ、私はワクワクして「作る」と言いました。創作するにあたり、店主が作ったメニュー表をまず眺めていました。
その時、「これを超えるものは作れない」と思いました。
私が学校で学んでいたような広告・販売・グラフィックデザインにおける知識や色彩の素養など持ち合わせない店主が、自分で書いたメニュー表を見て、これが最高だと思いました。挿絵とかなんとなく描いてあって。
それで、私は学校に行かなくなりました。
今、建築家のおじちゃん達とたくさん話すことができて、あの時の気持ちに説明ができます。あの頃は、説明ができませんでした。プラスティックは買わないで、冠婚葬祭を昔は地元の人達でやっていたのを、業者に任せるようになった時代の変遷を書きましたが、結婚式をどんなに優秀な新進気鋭のウエディングプランナーに任せても、新郎新婦を昔からよく知る人達で営む結婚式には太刀打ちできない そんな感じと似ています。そもそもがおかしいことは、ひっくり返らない。
私の所感ですが、本当にいい物はあまり広告に力を入れていないし見栄えがしないことが多いです。
ブリヂストンのように、声高に立派なフレーズを滑走させて自己宣伝する会社ほど、実態は真逆で惨澹たるものであることは、ほとんど法則といえるでしょう。(関連:偽物は饒舌 見せる行為をひっきりなしに浴びせ続ける モラルによる暴力 上に訴えられると今度は逆アピールをし出す)
HPとかでも、世の中にとって大事なことを訴えているHPはあまりイケてる感じがしないことが多いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
※おじちゃんも、自然派建築家の人達も、全て昔に戻れとは言っておらず、間取りや構図は、現代における望ましいあり方
ができるようにと言われています。例えば昔の家は、普段の生活よりハレの日のことを優先させた構図になっていて
住まう人の快適な生活空間が二の次に追いやられる形になっていたり 台所の高さがとても低かったり、
家父長制度や男女役割の考えなどが構図に出ていたりしますが、住む人にとって望ましい方向に
生活がもっていけるように設計をされています。