人を支援する活動や社会的活動をしている人が、「してやってる」意識の恐ろしさについて語っている
新聞記事を読みました。社会的なものとしてその活動をしている名目でも、実際にはそれは
内発性のものではなくて、「してやっている」という恩着せがましい気持ちでやることの怖さについてです。
その場合、内発性を信じている人やそれに違わずにやっている人と、実際にはそうでない人との間に
大きな乖離が出てきます。その乖離は急に出るものではなくて、言葉とかに現れていて、その度に違和感が
互いに生じてきます。自発的、内発的な社会活動であることを掲げているのなら、互いにというのも変で、
乖離しているのは嘘をついている人の方であり、そうでない人はいつだって乖離はしておらず、基本のところにいます。
ですが嘘をついて「してやっている」意識でやっている人は、そうでない人の態度を違和感や脅威としてうけとります。
間違っているのはその人自身の方なのに。そしてその「してやっている」意識から出てくる言動は、暴走的に
エスカレートしていきます。
またそのような心理下では、操作:コントロールがなされます。自分の思い通りに人を動かそうとすることです。
あの手この手で誘導操作が試みられ、それに晒され続けている人の違和感は不信感に変わり膨れ上がっていきます。
知っている人は騙せない 私は、まともな人間関係において、操作という行為はなされないことを知っています。
操作が効かない相手なら、直接の言葉で弱みにつけ込んだ脅しがなされます。 That's pretty low.
内発的な態度でやっているのであればするはずのない発想、言動が噴出して、その度合いはエスカレートして、
爆発し、それを誤った相手に向けます。「してやっている」意識でやっている人がこのような経過を辿ることを、
現場の従事者たちが語っていました。
器がないのに、器があるかのように偽ってやってはいけないと思います。無責任ですから。
いつか爆発する時限爆弾。そしてそれは過去にも何発も爆発しています。トラブルが多いという経歴です。
人が定着しないのは当たり前なのに、その原因を反省せずに、去って行った人達を悪く言います。そのこと自体が、
自らの誤った姿勢を露呈するものだと気づかずに。そこにいた人を評価すること自体がありえないことなのに。
内発性あるいは知性が本物であれば出てくる筈のない言葉が、平然と発せられます。
私もそういう現象は知っているので、この新聞記事をよく理解できました。
本当の内発性や知性でやっている人達がどんなかも、よく知っています。
当事者こそが専門家 性暴力被害を相談する相手 当事者こそが専門家② 私の相談員さん
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私の経験上の感想なのですが、内発性の人は、声高にそのことを、言わないんです。
声高にそのことを力説する人に、内発性の人はいませんでした。私は内発的な原動力でやっている人達のことをたくさん
知っていて、かれら彼女らは、そんなことを言わないです。Metoo WithYou Wetoo One for all, All for one の態度です。
私も、内発的な原動力でやっていることに対して、そういうことは言わないです。恩を着せるという発想にはなりません。
嘘だから、言葉や文章にして、強調したくなるのだと思います。自分自身に必死で言い聞かせていたり…
器にないのに無理に偽っている人や 中身は逆なのに知性の皮を被っている人は、時限爆弾みたいです。
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