サイゼリヤの内装。
煉瓦風の柱にかけた葉っぱのリースにスポットライトを当ててあってとてもよかった。
奥にも見える、壁を照らすスポットライトってとてもいいですね…
暖色のライトに照らされて。(白飛びしてるけど)
家の階段にもクリスマスリースをつけてみた。
上手に写らなかったけど、経年できつね色になった壁とリースがとてもいい。
実際はもっと黄色っぽいです。白っぽく写ってしまう。
クリスマスツリーも看護師さんと一緒に飾りつけして電飾も伝わせて
とてもいい感じになりました。夜寝る時に子どもが「綺麗だね」って言いました。
また夜撮って載せようと思います。子どもは、あらゆる刺激に慣れきった大人と違って
色んな物に対して強く深く感じています。 子どもは千倍感じてる
だから、家の中を子どもが歓び至福を感じるようにしたいです。
お金をかけたり派手で豪華な事をしたりするのではなくて、家にある物とか
貰った物、拾った物、中古屋で見つけた物などで温かい世界を作るのが私は好きです。
うちには色んな支援者(地域のおばちゃんも)が出入りしていて、よく思うのが
私達は家にある物の魅力や価値を蔑ろに思ってしまうというヒトの性分。
看護師さんやお客さんは私など家の者はなんの魅力も価値もないと思っている物を
「可愛い」とか「いいね」とか「渋い」とか言って歓ぶ。庭の花とか生っている実とか
植込みとかにも反応して。(看護師さんが看護の仕事してるんだよと言わないで。本当に
色んな物に反応して言われます。)私もよそのお家に行った時に、「いいね」「素敵だね」
「この花って何ていう花?」「美味しそうな柿の実がたくさん生ってるね」などと反応する
けれど家の人は「さ、さよか」って感じでそれらの存在を全く気にしてなかったり。
ヒトは、外部の物のよさは瑞々しく感じるけれど自分の物になったら魅力も価値もないと
思ってしまう。
夕食時、食卓に蝋燭を灯しているのですが、縦長の白い蝋燭用の立て具は1つだけでした。
もう1個、縦長の白い蝋燭を食卓に灯してみたいと思い
お仏壇の金色の蝋燭立てを持って来て灯すととてもいいです。
1本もいいし2本もいい。1本と2本ってこんなに違うんだって、なんだか学びました。
大きな事をしなくても、こういう少しの変化で大きく変わるということを。
子どもの友達が「すごい!この蝋燭立て」と言って歓びましたが、
仏壇の中で日頃使われていないのを持って来ただけです。
結構、家の中で宝の持ち腐れってあるものです。
看護師さんとかは、家にずっと住んでる人の思い込みや曇ってしまった目がないから
「これ使えるよ!使おう」って言って、私の方も感化されます。勝手にこれには
価値がないとか魅力がないとか使えないとか思ってしまっているけれど
よその人は、新鮮な目で「これ、丁度いいのあるやん!使おう使おう」って言ってくる。
それから、家具の位置、向きなどでも看護師さんと一緒にやると本当に面白い。
私の中で「向き、こうやろ」って自明のように思っていたら看護師さんは逆を自明と
思っていて「えっ そうか、それもいい。思いつかなかった」ってよくなります。
その家庭でのこれが通常仕様っていうのがあって、それは別の家庭では全然そうじゃ
なくて、外部の人が「これはこうだよね」って言ってする事が、私の「こうだよね」と
違っていて、新鮮です。先日も小屋にソファを置いたのですが、その向きが
看護師さんの発想と私のは真逆でした。すごく面白い。そういう時は看護師さんの
発想の通りにします。向こうもそれを自明と思っているから疑いなくやります。
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夜、撮影。
階段のリース
階段に貼っているターナーの黄色い絵。
クリスマスツリー。電飾の光に横線入ってしまう…
実際には横線は入ってなくて、綺麗に丸く蛍のように光っています。