おかしなことにいちいち「おかしい!!」と言っていたら身が持たないから、ねずみのようにちょろちょろ
こそこそと、真っ当だと思うことや良心に恥じないことをやって生き凌いでいる。
葛藤、困惑の中で、自分なりにできることをして、こそこそと闘いながらやっている。
これは、心まではへし曲げない生活者として、当たり前のふつうのことです。
いちいち「おかしい!!」と言ってたら、身が持たないからこそこそちょろちょろとやるしかないことは
誰だって知っていること。なんの矛盾もない。それを難しい言葉でごちゃごちゃ言うことに意味はない。
これを読んでいて私に秘密のメッセージをくれる人達もそうだと思います。
そして悪質極まる展開を受けて精神が破綻して、これに対して法で付与されている権利をもって対応するのも、
なにも矛盾などしていない行動です。泣き寝入りか闘うか、どっちかの選択です。
闘うことを選んだからと言って突き抜けた人間なのではなく、ふつうの弱い人間です。 I am a creep.
私は弱い人間のまま、触れたら壊れるデリケートな精神状態のまま、闘っています。
それを矛盾だとか俄かに信じがたいとか屁理屈を言われたら、1日も生きられない。みんなそうやっています。
セクハラ・性暴力被害者たちも、ガラスの破片の上を裸足で歩くような精神状態のまま、病んでるまま、
通院しながらあるいは入退院を繰り返しながら、闘っています。
DV被害者支援の重鎮の中島幸子さん(NPO法人『レジリエンス』の代表)も、
未だに精神疾患(うつ病、複雑性PTSD、DID:解離性同一性障害など)を抱えて通院しながら運動を牽引しています。
また彼女は自閉症sp:ASDの診断も持っていると講演で話され、その特性のエピソードはとても共感するものでした。
(すばらしい講演会)
私はそういう人達こそ信用しています。それが本当に闘っている姿だと思います。
好きで闘っている人などいなくて、症状を抱えたまま闘っています。(楽しくサバイブしよう!② 楽しくサバイブしよう!)
人は急に突き抜けた人間になったりしないし、変身したりしないしその必要もないことです。
それを無理強いする形になった時(強いたのではなく結果的にであっても)の失敗例はたくさんみることができ、
十分に学べることです。いや過去の例をみなくてもわかることです。だから運動におけるデリカシーは必要で、
それがなければ突き抜けた人以外持続不可能となり、それは排他的な運動体であり、生活者の心をとらえて運動を
広げることはできません。 (持続可能な運動は魂の安売りではない)
Aさんには平気で跳ね返せて傷を負わないことでも、Bさんには平気ではなくて、Aさんが自分の判断で
やってしまったことでBさんが受けることになるダメージの責任を、Aさんはとることができません。
無神経で無責任だと思います。これは生活している土壌によっても、色々と事情が変わってきます。
DV・セクハラ被害女性たちは弱いまま、トラウマやパニック症状を抱えて、通院あるいは入退院しながら闘っている。
そういう人達に対して、知的言語をふりかざして無駄な屁理屈をこねないで欲しい。Intellectual snob is never intellectual.