余命一年のわたくし
幸せでございます。
というのも
息子たちや友人たちに
今からもう
「お見送り」をしていただいていて
それがなんとも優しく
いたわりに満ちていて
ふつう、お葬式って数時間で終わるのに
わたくしは一年ほどかけて
ーーもっと早くなるかもしれないーー
お見送りをしてもらっているのです。
壮大な優しい思いやりに満ち満ちた
お見送り。
こんな幸せな最後を迎えられるなんて
本当に幸せ。
余命一年のわたくし
幸せでございます。
というのも
息子たちや友人たちに
今からもう
「お見送り」をしていただいていて
それがなんとも優しく
いたわりに満ちていて
ふつう、お葬式って数時間で終わるのに
わたくしは一年ほどかけて
ーーもっと早くなるかもしれないーー
お見送りをしてもらっているのです。
壮大な優しい思いやりに満ち満ちた
お見送り。
こんな幸せな最後を迎えられるなんて
本当に幸せ。
腹膜の背後に散らばっている癌
これは絶望的に治らないと
ネットにーー
息子たちの献身は結局
無駄になるのです。
それがわかっていても
口には出せません。
無駄なお金を使っていると
わかっていても
口には出せません。
早いクリスマスパーティをしました。
いい仲間たちでした。
楽しい時間でした。
そしてケーキも切ったけれど
私は一切「何々は食べられない」
なんて言いませんでした。
ほんの少し食べてそっと残しました。
こんないい時間が来年あるという保証はありません。
いえ、きっとこれで最後だったのでしょう。
でもーー
こんないい時間が与えられたことは
無上の喜び。
贅沢は言いますまい。
ときどき
撫でるように脇腹に痛みが走ります。
でもすぐに消えていきます。
そんなときにすぐ思うのは
この痛みが日常になったとき
はたして笑顔でいられるかしら
ということ
息子たちには隠しおおせるかしら
ということ。
もしかして正直に
痛い、痛いと甘えちゃってもいいのかしら
とか
まだ来ない痛みに備えています。
それ以外は
少しずつでも余計なものを
捨てることを日課としています。
が
愛読書はやっぱ手放せないですね・・・
余命一年と言われたのが
2019年11月22日
なので
もう少し生きていられる。
こうして命を線引きされると
本当に日日が新鮮だなあと思う。
今日も郵便局で行列しているとき
そばに抱っこされた赤ちゃんがいて
その目の美しさ
命の始まりの輝きにみとれて
ついにっこりしていたら
あかちゃんも私を見てにっこりしてくれた。
こんな小さなことで日々を喜びながら
あちらへ旅立ちたいものだと思う。
もう
日本の 30年後のことなど
心配してもしかたないよ。
日本という国があの国に侵食されて
次々に殺されては臓器を取られている
なんて
想像しなくていいよ・・・
孫たちの将来も心配していたけど
こうなったら
空の雲となって見守るしかないのだもの。
息子たちがいろいろとやってくれます
もういいよと言いたい・・・
けれど
彼らが言うには「俺たちを後悔させないで」
でもねえ・・・
もういいよ、と言いたいくらい
やってくれるのです・・・
セカンドオピニヨンにも
酵素風呂にも
温泉にも行かなきゃってーー
それだけで疲れちゃうよ(笑)
この息子たちの誠意を
どう受け止めたらいいのでしょう
だれか教えて。