親殺し子殺し祖父母殺し
それは昔もあったのです
江戸時代だって
明治時代だって
もしかすると鎌倉時代だって
あったかもしれないのです。
親にネグレクトされたり
暴力を受けた子供の百%が
成人して犯罪者になるとは
限りません。
彼らは人生の最後まで
心の底に哀しい闇を抱えつつも
人生を全うするのです。
ただ心の闇に飲み込まれてしまった
子供や大人だけが
殺人者になったりするのですが
もしこの闇に一筋の光が射していて
彼らにそのたった一筋が届けば
もしかすると
そこに希望があるかもしれません。
その一筋の光はときに
一人の人間
先生だったりおじさんだったり
恋人だったり
一冊の本もしくは
短い短い言葉であったり
音楽の一節であったり
するかもしれません
これこそは「出会い」というもので
運命でもあるのですが
祖父母を殺した少年の闇に
一筋の光ー言葉も人も歌もー
も射し込むことがなかったのは
もしかすると彼の生活の
ほとんどが
スマホという間の
生身のない生活で
まわりのややこしい友人関係も
すべてスマホの世界のように
ただ消去とかリセットとか
という意識しかなく
もしかすると祖父母を「殺した」のは
「消去」くらいに感じていた
のでしょうか。
そして生身の人間を
殺してみれば血が流れ
やっとのことで彼に
「生身の人間の血」の
リアリティが襲って
それが彼の「復活」だったのだとすれば
この「一筋の光」は
ぎらぎらとした血であったという
これもまた悲劇の筋書き。
しかしいつの時代にも
親殺し子殺しなどがありました
スマホがない時代にも。
いつの時代にも
その時代に
「一筋の光」が射し込むことのない
闇が・・・・