人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

ためる

2015年11月30日 | 日記

羽生結弦くん

ーー名前があまりにも素晴らしいーー

和の神髄を求めて

野村万斎を尋ねるシーンを見ました。

「西洋はすべてを表に出してしまう

けれど、狂言ではタめる」

という意味のことを

語っていました。

これこそが和の神髄

だと思いました。

タめるの「タ」の漢字は

どう書けばいいのか

よく解りませんが

変換してみました

「溜める」「貯める」「矯める」

どれも違うような気がします

とくに「矯める」はね。

つまり「出し切らないでとどめる」

って意味ですね

羽生くんの姿を見ていて

その美の意味が理解できる

ような気がしました。

真央ちゃんも日本舞踊を

習ったのですね

その姿にも

ただ優美というだけでなく

「タめる」要素がありました。

この「すべてを表に出し切らない」

和の精神ばかりは

西洋の文化にはなかったもので

王宮の華美な装飾など

これでもか、という具合。

反して日本の王宮は・・・

実際には見たことないけど

きっと

「タめる」「とどまる」

美に支えられているのでは。

けれども最近

この隠された美の精神に

惹かれる西洋の人が

増えてきたような。

日本人が忘れかけているもの

彼らが再発見するなんて。

がんばれ羽生くん

真央ちゃん。

 


日付

2015年11月29日 | 日記

認知症テストの

最初が「今日は何月何日ですか」

というもの。

はいっ、とすぐ答えられる人は

認知症ではないのですね。

しかし・・・

大方の老年は

すぐには答えられない

のではないでしょうか。

というのも

「日付を必要とするのは

明日への希望を持つ人だけだ」

と『さざなみ軍記』で

井伏鱒二が書いているように

「明日の仕事」「明日の予定」

がない人に

今日の日付を問うのは

残酷というものですね。

かくいう老婆の私も

すぐに答えられる自信は

ありませんよ。

ただわずかに

今はまだ

息子のところに行く

口実があって

月に一度くらい

お出かけの予定があるから

まだ「明日への希望」は

ちょっぴり残されて

いますけれど・・・

認知症テストへの

ささやかな

抵抗??

でございました。

 

 


同居でおしまい

2015年11月28日 | 日記

健康に暮らしていた

一人暮らしの

ある老女に

息子夫婦が同居

することに。

息子はもちろん

親の面倒を見ようという

殊勝な心根からでした。

が・・・

老女はたちまち

ぼけが始まり

やがて亡くなって

しまいました。

ああ、同居の良し悪しは

ここにはっきりしております。

「死後発見二週間」とか

の浅ましさからは

逃れられるかもしれない

けれど

死期を早めるとか

ぼけが進むとかにも

たいした効果がある

ってことですね。

老女の私は今

一人暮らしをしつつ

「一人でトイレにいける」

「自分で風呂に入れる」

ってことが

とても大きな「幸せ」に

思えるのでした。

 

 

 


専門高校

2015年11月27日 | 日記

調理科専門の

高校を作ったら

希望者が殺到したとか。

これですよこれ。

一般教育だけの

普通科の高校は

要らないのですよ

中学を出たらもう

専門を見つけていけるように

子どもの成長は求めて

いるってことですね。

普通科の高校では

ただただ成績が

それも数学とか英語とか理科とかに

突出している子だけが

「優秀」な子です。

けれども専門性は

多種多様に

子どもの成長を促します

調理だけではないでしょう

薬学、物理、数学、古典

歴史、いえいえ他にも

航空、芸術、スポーツ

山林、漁業、農業(これは昔からある)

介護、福祉、政治だってありです。

そんなふうに

高校から

専門化が進めば

日本の子どもたちも

もっとポジティブな

人間になると思うのです

けどねえ・・・

 

 

 


子ども特区

2015年11月26日 | 日記

それぞれの県に

子ども特区ができるといいな。

そこでは子どもは

生まれてから高校まで

すべて無料だし

保育所と老人ホームが一体となってて

シングルマザー優先で

介護や保育に関わる

就職ができて

我が子を

同じ老人施設で

見守りながら

働けるし

しかも介護士講習もそこで

受けられるし

というような

特区が各県に

一箇所でもあれば

いいのになあ。