人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

非日本・日本人

2018年12月26日 | テレビ

非日本・日本人ーー

こんな種類の日本人が

これからどんどん増えてゆくのでは。

あるテレビ番組を見ていて思いましたね。

反日・日本人なら今までに

そりゃあ大勢見てきましたよ、

ジャーナリスト、大学教授、弁護士、

日教組の先生方etc・・・

でもね、これは違うのです。

日本国籍を取りつつ

習近平大好きで尊敬してて

あくまでも自分は「中国人」と自称する人。

なんで日本国籍取ったかというと

ただ一つの理由ーー

外国に行きやすいから。

その便利さだけのために

「日本人」になったのです。

よその国で国籍を取ろうとすると

その国への一種

愛国心を問われるということらしいですね。

当たり前ではないかしら。

ただ便宜上

日本人になってて

いざとなれば

日本なんかどうなってもいいという

生粋の「中国人」が「日本人」なのです。

テレビで堂々と

日本人になったのは

ただ「便利だから」と発言してる。

そして精神は「母国にある」というわけです。

日本だからこその

あまーい懐です。

C国だったら逆に

こんな人、すぐさま

投獄でしょう。

でも、国籍を取ることが

まるでスーパーに買い物に行くくらい

簡単にできちゃうとすれば

今にこんな

非日本・日本人が

何十万と増えてごらんなさい

それで日本の未来は見えてしまうーー

のでした。

 

 

 

 


報道の自由

2018年12月10日 | テレビ

明けても暮れても

食べ物のことばかり

だれかが何かをぱくついては

「おいしい!」と

のけぞってみせる・・・

こういうテレビ番組が

一週間にいくつあるか

統計とってみた人いませんか?

テレビでも見てみようかと

ちょいとくつろいだときに

テレビつけると

「おいしい!」 「うめぇ!」

とやってます。

テレビには「報道の自由」がありますから

タレントが何か食べてる番組を

延々と流す自由もあれば

逆に「報道しない自由」もあって

新疆ウイグルで今

何が行われているか

尖閣にどれほど侵入されているか

安倍総理が世界の首脳の集まる席で

重きをなしていることとか

まして

沖縄の辺野古移転に

賛成の住民もいるとかは

一切

報道しませんね。

NHKも同じですから

始末におえない。

NHKにはいい番組もあって

「日曜美術館」などは

素晴らしい

のに・・・

ネットのニュースに触れないで

新聞、テレビという

古典的な情報に頼っている

高齢者たちは

まだ日本は先進国トップだ

なんて

まさか思ってはいないでしょうね。

先進国グループの中の

後進国になってるなんて

知らないのでしょうね。

まして

ウイグルという民族が

消し去られようとしているなんて

知るわけないですね・・・


落語ブーム

2018年11月10日 | テレビ

友人が面白いテレビドラマあるよ

 DVDを持ってきて一緒に見ました。

なんとまあ

昭和初期に帰ったような

古典的なドラマ仕立てでございました。

よくもまあ

こんなにも古典王道のドラマが

若い人たちに

受けてるって?

面白い現象ですね。

その中で

「女は落語に向かない」という

セリフがありまして

これは以前から私も感じていたことでして・・・

だとすると

落語家になりたい女の人は

どうすりゃいいの?

廓ばなしや「文七元結」など

女の人の声で聴けるのかなぁ・・・

危惧してしまった私は

偏見の持ち主かもしれませんねぇ・・・


飛べる!

2018年10月08日 | テレビ

何かの番組で

フィギュアの安藤美姫氏が

インドネシアの子供達に

スケートを教えていたのですね。

どうしても飛べない子供にかけた言葉が

老婆のような

もう先も見えている人間にも

希望を与えてくれたのですよ。

「おまえは飛べる!」

暗示をかけたというのではなく

その子は潜在能力としての

力を持っていたからこその

この言葉であったのでしよう、

その子は本当に飛べたのです。

しかし

「おまえは飛べる」

この言葉は別の意味で老婆を

励ましてくれました。

「おまえは生きる!」

もう先がないからと

すべてを投げてしまいたくなる自分を

この言葉はふっと私を目覚めさせます。

そうだ

おまえはまだ

生きることができるのだ

とーー

だから今日も

ちゃんと生きよう・・・

 

 

 

 


作りものの笑顔

2018年08月24日 | テレビ

昔、ある若者の笑顔を見たとき

気持ちが悪かった・・・

本当は笑っていないし

その場では笑う意味のないときもずっと笑顔を作っていて

奇妙な感じがしたのを今も覚えている。

彼は間もなく引きこもった挙句

亡くなったのだけれど

きっと苦しい笑顔をし続けて

社会のなかで生存しようと苦労していたのかもしれない。

知人が今度の総裁選に出るというI氏をテレビで見たとき

ふだん笑顔なんか見せないのに

このときは終始、笑顔だったという。

そしてその笑顔が不自然でとても

見てはいられなかったと。

その話を聞いてはしなくも

昔のあの若者の笑顔を思い出した。

お世辞の笑顔はいけません、

いつも自分の顔でいてくださいーー

と、言いかけてーー

今、読み直している司馬遼太郎「奇謀の人」を連想・・・

村田蔵六はいかなるときも

相手への忖度なしに仏頂面で

必要なことだけを天才的に成し遂げた

けれども

薩摩の憤慨を異様にかってしまい

暗殺されたーー

ことを思うと

I氏も不自然ながらにこにこしていたのでしょうか、

それとも

人気テレビ番組のために

忖度したあげく

終始、不自然な笑顔を作っていたのでしょうか。

にしても・・・

「私は正直者です」なんてあほらしい自己アピールする

政治家なんて

まったく信用できませんけど・・・