人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

無人の街

2018年10月12日 | 旅行

昔、柳井の街を歩いたことがありました

金魚の提灯が

すべての家の軒先に吊り下げられていて

大勢の人がぶらぶらと

見物しながら歩いていて

それはたいそうな人混みでした。

最近、田布施に旅をして

ついでに

同行した友人に

あの繁華な街を見せてあげようと

途中下車しまして

あの商店街に入った途端

私は夢を見ているかと思いましたね。

なぜって

はるかに見通せる街並みの

一番遠くまで

だれもいない!

のですから。

そうです

「一人も」いないのです。

「だれも歩いていない」

車も自転車も子供も

つまりそこは

「無人の街」だったのです。

ついにある店に入って

「今日はお休みの日ですか」と

尋ねると

「いつもこんなですよ」という返事。

どうなってしまったのだろう

と思っていると

ここだけではないのです。

山梨県北部の小さな駅に降り立ってみると

しーん・・・・

だれもいないーー

駅前をぶらぶらしていると

看板に昔の写真が貼ってあって

見て驚いたのなんの。

この同じ通りに

人がわんさか押し寄せていて

なかには「芸者さん」も大勢。

みんな、にこにこ笑ってて

子供も大勢いる。

そうか、ここは昔

「繁華な駅前」だったのか・・・

無人化してゆくあちこちを

旅の中で味わう羽目になりまして

「消えゆく日本」に

悲しくなったのでありました。

その原因の一つは文明の発達と関係あるでしょう。

後進国のすさまじい人口爆発を見ると

彼らはどんなに飢えても

子供だけは産みます。

人間がもともと

産んで増やす生き物として

地球上にあるのですもの。

文明はそれに逆らってきたゆえに

繁栄したとも言えるのでしようか。

繁栄したのは機械文明で

人間を滅ぼす仕掛けであったのですねぇ・・・

 

 

 

 

 

 


おもてなしとは

2018年07月02日 | 旅行

ある島の旅館に泊まりました。

料理は驚くべき新鮮な海鮮でしたが

なにより素晴らしかったのは

「おもてなし」でした。

言葉は少なくて、でも

何から何まで行き届いて

料理は美味しく

尋ねられたことにははちんと答え

しかし余計なおしゃべりはなく

慎ましく

しかも媚びない。

おもてなしとは

決して媚びずつつましくあって

行き届いていることだと

改めて感じたのでした。

昔、倉敷の有名な旅館では

女将が食事の場にずっといて、

いろいろしゃべったのがうるさかった、

客だけにしてくれたほうが気楽でよかったのに。

というわけで

いまいろいろと賞賛されている「おもてなし」の

真髄はここにあり、と

思ったのでした。

そしてこんな旅館は日本の至る所にある

のでしょうが

つつましく、行き届き、

しかもおいしい料理というのが

最高ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


明治という時代

2018年07月01日 | 旅行

江田島には海軍兵学校のほかに

バルチック艦隊の襲撃に備えて

砲台が設けられており

ーーそれは点々と瀬戸内海の島に作られたーー

その跡が今も生々しく残されています。

「坂の上の雲」との連想で

明治という時代の健気な意気込み

には頭が下がります。

絹と米しかなかった日本が

ロシアと対峙しようとし

あの懸命な努力の結果が

近代化の成功でしたが

これにひきかえ第二次大戦の日本の

悲しいほどの幼稚さはどうしたことかと

思わずにはいられませんでした・・・

どうしたことでしょう

原爆が投下された広島を彷徨っていた人が

「竹槍」を持った婦人たちの群れに遭遇した

らしいのですがーー

原爆と竹槍ですよ!

悲しすぎます。

しかもあの国みたいに「千年の恨み」を

言うのでもなく

「あやまちは繰り返しませぬ」って・・・

だれがあの残虐な大量殺戮をしたのですか?

日本ですか?

煮え繰り返る思いでございます。


様変わり

2018年03月19日 | 旅行

様変わり、にはいろいろあるとは思いますが・・・

このたび倉敷にほんとに久しぶりに旅して

仰天・・・様変わり

まあ、イベントがあったからではあるのですが

有名な美観地区、ではなく

私が好きだったのは

一筋別の古くからの商店街で

なんなく薄暗ーい雰囲気がよかったのですが

まあなんと・・・

様変わりしておりました。

若い観光客がぞろぞろぞろぞろ

そしておしゃれな明るい店が

ところ狭しと並んでました・・・

美術館も以前はエル・グレコ「受胎告知」も

他の絵に混じって壁に掛かっていましたが

今は特別コーナーに威厳を持って掲げられていました。

路地もいっぱいの人、人、人。

日本語以外の言葉もあちこちから・・・

というわけで、倉敷様変わりの旅でございました。

一方、寂れに寂れた地域もあるのだろうと思うと

その違いはどこにあるのでしょうか。

こちらは大原総一郎という人格者の意思のおかげですし

方や(場所はあえて特定しませんが)安易な

テーマパークをどかどか作っては寂れるのでした。

 

 

 

 

 


観光地風景

2017年12月05日 | 旅行

松江に行きました。

なんといっても観光の名所であることに

間違いありませんね

街並みは取り立てていうほどのものは

なかったような。でも

なにしろ

宍道湖は美しいし

なんてったって国宝松江城ですね。

お堀には舟が出ていて

イスラム系の人が何人も来ていたし

韓国の団体がぞろぞろ。

あれ、この人たち「反日」じゃなかったの ?

と思わず見てしまいました。

城の内部はまったく何もなく

ただもう太い柱と床とハザマだけ。

これはもうただただ「戦さ備え」の

ためだけのものだと思いました。

それだけにリアル感いっぱい。

そして外見がかくも美しいのはやはり

領民への権威付け ?

となるとーー

ヨーロッパでいうと今はほとんど廃墟になったような

城塞に近いのでしょうか。

華麗という言葉はどこを押しても

出てこない

でもこの美しさはなんとしたことだろう

と思っていたら

名古屋城の金のあれを思い出しました

さすが尾張は別格でした

松江城はーー

凛とした美意識

これに尽きると思った観光客の私でした。