人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

春がきた

2015年03月31日 | 日記
退職し、夫が逝き、息子たちが独立し、

それぞれに相手がいて、

一人はちゃんと家庭を持って

もう一人も・・・・

そうして私は広い家と小さな庭で一日を暮らす。

春がきた。

菜の花を摘んで茹でて

今日も食べる。

テレビはリモコンが壊れてて

わざわざ立ってつけるのは

面倒だから

このごろはテレビとさようなら。

今日は『台湾論』を読んだ。

息子が教えてくれた漫画家。

日本を憂うる人で、七百万部も売れたとか。

庭の片隅で

私は思うのです、

「河野談話」や「村山談話」は

いつか遠い先の歴史書では

売国の書として描かれるだろうなと。

そう、それらが「日本書紀」くらいの「昔」になったらね。

そして思うのです、

こんな老婆がなんでまた

自分の国を憂うるのかな、と。

目の前の、菜の花ひとつほどの

存在である私が…と。

無縁墓の詩

2015年03月29日 | 日記
お寺のすみに

無縁墓が積み上げられている

いつの日か

私の墓もあの小さなピラミッドの一つになる

と思っていたけれど

今は違う

私は自分の墓を建てない

息子たちにもよく言ってあるから

無縁墓にはならない

私の墓は海ーーそれも

日本海

小さなひとかけらの骨を波に浮かべてくれたら

それが供養というもの

斎場の男が以前

夫の遺骨をできるだけ詰めて持って帰れと

指示したけれど

困った

彼もまた

墓はいらぬと遺言していたのだ

だから骨箱の置き場に困った

無縁墓に

無縁な私

日本海に

漂うのが夢


棄老

2015年03月28日 | 日記
チャイナで・・・

林の中に

毛布でくるまれたままの

老女が棄てられていたそうな

昨日のニュース

だから

今の話だ

老人老女が棄てられるのは

昔からあったことで

昔も今も変わっちゃいない

棄てた人を批難するのはたやすい

棄てられた人はかわいそう

だというが・・・

たというが・・・

病院で管人間となって死ぬのはかわいそうじゃゅないの?

孤老という名のまま

ひとりひっそり死ぬのはかわいそう?

幸福な死って

どんなかたちをしているの?

棄老は

植物の営みのように

ごく自然なものではなかったの?

ヨメ・シュートメ見聞録

2015年03月27日 | 日記
私のことではありません。

身近な人のことです。

彼女はシュートメでもあります。

ヨメは一人娘をかかえて夫の仕事先のシンガポールから

さっさと夫をおいて日本に帰りました。

夫は懸命に今も働いております。

いま、妻にとって夫はただの金づるです。

ヨメはシュートメの近くに住んでいますが、

二人が会うのは年に二度ほど。

78歳になるこの知人は言いました。

「もうあの人は妻もヨメもやってない。

自分の母親の面倒と娘のことだけ。

私、何ももう求めてない。

ただもう、彼女が私を殺さないだけまし、と

思うことにしているの」

現代版ヨメシュートメの一つの姿でありました。

「なにも求めない」

これですね。

いい智恵です。




石鹸みたいになりたい

2015年03月26日 | 日記
石鹸みたいにつるつる

どこへ行こうとつるつる

だれに何されようとつるつる

ニンゲンカンケイの中でつるつる

すべってすべって

捉えようもない

そんな石鹸になれたら楽だろな

アホみたいにつるつる

にこにこしててつるつる

トゲがあるところでもつるつる

なにしろつるつる

そんな石鹸になれたらいいのにな